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2010年2月27日(土)の「おつたえ」;このよこころすべてしんのじぶんさらにきづくしんか。

いつもありがとうございます。毎週末の神社でのめでぃてーしょんを通じて「おつたえ」いただいた「しんい・めっせーじ」等を誠実に記させて頂いております。
【参照】「「おつたえ」はじめに。」のページへ
【参照】「わたし」のスピリチュアリティー(霊性)の「しんか」のページへ
【<毎週末のめでぃてーしょん>】
                                    <◆◆「おつたえ」まとめ
                                    <★★「しんい・めっせーじ」まとめ



しんのじぶんさらにきづく。
しんのじぶんさらにきづく。
しんのじぶんさらにきづく。

このよこころすべてしんのじぶん。
このよこころすべてしんのじぶん。
このよこころすべてしんのじぶん。

ひとたにんすべてしんのじぶんじゃ。
ひとたにんすべてしんのじぶんじゃ。
ひとたにんすべてしんのじぶんじゃ。

このよこころすべてあらわれる。




以下、「おつたえ;くげん」が届き終わった後の、浮遊状態の時に念を押すがごとく強く届きました。


いのちじぶんのものではないのじゃぞ。

いのちすべてのものじゃぞ。

いのちすべてのもの。



本日はこの後、所用により外出致しますので、ひとまず「おつたえ;くげん」のみおつたえ記させていただきました。
本日夕方もしくは夜にはこのページを完成させて頂く予定です。
ご了承ください。ありがとうございます。


以下、帰宅後加筆。




しんのじぶんさらにきづく。」とおつたえくださった。

「しんのじぶん」

「しんのじぶん」とは我欲の自分ではない。

「しんのじぶん」とは、私たちが一般的に認識している「自分」とは異なる。

「しんのじぶん」とは「真のじぶん」であり「心のじぶん」であり「深のじぶん」であり「清のじぶん」であり「信のじぶん」であり「新のじぶん」でもあり、そして「神のじぶん」でもある。

「しん」にはさらにいろいろな「しんい」があると感じて/観じている。

いずれにせよこれから私たちこのよこころ、社会意識はさらに「しんのじぶん」をきづく。

これからますます多くの人々が「自分」とは一体何であり、どのような存在であり、なぜ「自分」はこの世に生まれ生きているのかさらに意識するようになる。

そして、「自分」をさらにきづいてゆくに従い「しんのじぶん」にもきづく。

それは同時に、「自分の家族」とはどのような存在で、「自分のつとめ(仕事)」はどのような価値があり、「自分の人生」はどんな目的があるのか等を、さらに深くきづく。

深くきづけばきづくほど、それらの存在意義、価値、目的等が一層崇高なものへと「しんか」し、「しんのじぶん」がさらに「しんか」する。




このよこころすべてしんのじぶん。」とおつたえくださった。

「このよこころすべて」が「しんのじぶん」。

「このよ」は「こころすべてしんのじぶん」。

解釈は多様にできる。

どの解釈であろうとも理解が進む。

それだけではなく、解釈の制限を超えた領域もあることが感じ/観じられる。

「このよこころすべてしんのじぶん。」

「しんのじぶん」とは、「このよこころすべて」という解釈も可能だ。

その観点をきづき始めた人々がますます増えている。

今(18:48)、「これいじょうつたえんでよい。いずれみなきづく。」と届いている。

その観点については、これで一旦記すことを止める。




ひとたにんすべてしんのじぶんじゃ。」とおつたえくださった。

他人様(ひとさま)も「しんのじぶん」。

肉体はそれぞれ個人的な存在「人間」として私たちはこの地球上で生きているが、意識/心の観点からは他人様(ひとさま)も「しんのじぶん」。

バンクーバーオリンピック、女子フィギアスケートの浅田真央選手がコメントした「コーチの言うことを信じて、自分を信じて滑りました。」は、つまり「しんのじぶん」を信じて滑ったということ。

コーチからの「教え」も「しんのじぶん」の一部。

ツイッターで「自分のために滑るのではなく、コーチのために滑ることの方が強い結果が出るのではないだろうか。」というコメントがあった。

「しんのじぶん」をきづくことにより、「自分のためではなく、誰か他の人のために何かを成す」ことも、実はそれは「しんのじぶんのため」に何かを成すことになる。

なぜならば、「自分ではない、誰か他の人」も、それは「しんのじぶん」だからだ。

「我欲の自分」のためにことを成すことは、「しんのじぶん」のためにことを成すことにはならない。

「我欲の自分」は「しんのじぶん」ではないからだ。

「愛する家族のために精一杯働くこと」等の例は、まさに「しんのじぶんのため」に精一杯働くことにつながる。

「愛する家族」は、「しんのじぶん」だ。

「愛する家族」にとっての「父」という存在も、父は「愛する家族」の「しんのじぶん」となる。

このよこころすべてしんのじぶん。」

今(18:58)、「むりにきづかせんでもよい。きづくものからきづけばよい。」と届いています。

。。。。

今、この段階では、「しんのじぶん」をきづく人がしぜん(自然/至全/至善)と「しんのじぶん」をきづくことが最善だろう。



。。。。。。。。。。。


さて、今朝は、「おつたえ;くげん」が届き終わった後の、浮遊状態の時に念を押すがごとく「いのち」に関して届いた。


いのちじぶんのものではないのじゃぞ。

いのちすべてのものじゃぞ。

いのちすべてのもの。




これは恐らく、「いのち」を「自殺」によって殺めてしまう人々が増える時期になっているためだと強く感じた/観じた。

「いのち」は「じぶんのものではない」。

「いのち」は、「すべて」のもの。

だから、自殺はある意味「殺人」なのだ。

日本では毎年、3万人を越える自殺が生じている。

それは「毎年、3万以上もの殺人」が起きているということだ。。。

いのちじぶんのものではない。」

いのちすべてのもの。」

今朝、念を押すがごとく届いた「しんい」を一人でも多くの人々がきづくことができたら幸いだ。




みなのこころのなかじゃ。
すべてこのよこころのなか。

なにがあってもかんしゃするがよい。

かんしゃしてしんかするしんい。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころのせんたく。
しんいはみなでしあわせ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

このよすべてしぜん。

みなそれぞれじぶんのじんせい。
ひとたにんのじんせいいきられん。

みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。

みなでしあわせ。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

すべてわさいぜん。

このよこころわひびきあいかなであい。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。


このよすべてじぶん。
みなでひとつ。
みなでしあわせ。

みなちがういのち。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

ひとみないちれつみなたいら。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせ。

このよこころすべてじぶん。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

このよこころじんせいむだはない。
このよこころすべてまなび。

このよこころすべてまなび。
このよこころすべてじぶん。
このよこころすべてしぜん。

みなでしあわせみなでひとつ。
みなこころこのよつながっておる。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

しんのつよさすべてをうけいれすべてをあいしすべてをいかすこのよこころしぜんうちゅうのつよさ。

すべてにかんしゃしまなびなせ。

ぜんあくいだきあいとなる。

なにがあってもかんしゃするがよい。
かんしゃすればこころせんたく。
かんしゃすればこころせんたくこころすむ。

かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。

ぜんかんしゃ。
しんいみきわめまなびなす。
しんかのみちびき。
しあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

かんしゃこころこのよいきることじゃいかすことじゃ。


かんしゃはいきること。。。。

かんしゃいかすこと。


ぜんかんしゃこのよこころいきることいかすこと。

ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。

しんいはみなでしあわせじゃ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることじゃいかすことじゃ。
しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころせんたく。
かんしゃすればしんいみえる。
しんいみえればまなびなす。
まなびなせばみちびきつかむ。
みちびきこれあらたなるしんかへのみちじゃ。
かんしゃするがよい。
かんしゃするがよい。
かんしゃするがよい。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃはいきることじゃいかすことじゃ。

ぜんあくいだきあいとなる。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

しんいはみなでしあわせじゃ。






すべてに、ありがとう。全感謝。

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プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

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