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2009年12月19日(土)の「おつたえ」;このよこころすべてじぶんみなかえる。

いつもありがとうございます。毎週末の神社でのめでぃてーしょんを通じて「おつたえ」いただいた「しんい・めっせーじ」等を誠実に記させて頂いております。
【参照】「「おつたえ」はじめに。」のページへ
【参照】「わたし」のスピリチュアリティー(霊性)の「しんか」のページへ
【<毎週末のめでぃてーしょん>】
                                    <◆◆「おつたえ」まとめ
                                    <★★「しんい・めっせーじ」まとめ




じごうじとくいんがおうほうみなかえる。
じごうじとくいんがおうほうみなかえる。
じごうじとくいんがおうほうみなかえる。

ことばこころじぶんじんせいみなかえる。
ことばこころじぶんじんせいみなかえる。
ことばこころじぶんじんせいみなかえる。

このよこころすべてじぶん。
このよこころすべてじぶん。
このよこころすべてじぶん。





今朝は、雲一つ無い快晴。

師走の寒さの中、近所のお寺の道の両側に、夜には「光の壁」になる、たくさんの「提灯」が飾り付けられていました。
夜、提灯の「光の壁の美しさ」を、毎年楽しみにしています。





(「このよこころすべてじぶん。」です。以下の内容は、これをお読みくださっている皆様だけに伝えられた「おつたえ;くげん」ではなく、今、これをおつたえ記させていただいている、「わたし」に対しても当てはまることであり、「自戒の念」にも通じる内容だと感じ/観じさせていただいております。ありがとうございます。)


まず、「じごうじとくいんがおうほうみなかえる。」とお伝えくださいました。

「自業自得」

「因果応報」

「みなかえる。」。。。

皆、自覚できる、とても自然なこの世の摂理・真理・天理。
(自覚できない人には、残念ながらこの場での説明は割愛させて頂きます。申し訳ございません。ありがとうございます。)

私たちは、つい、このことを忘却してしまい、他人様(ひとさま)や世間、時世等を責めたり、不平・不満を言ったり、他責してしまいます。

しかし、真実は、「自業自得」「因果応報」であり、「みなかえる」。。。

昨今の「世界同時不況」も、その「真因」を思い巡らせば、「世界同時不況以前の、自分の行為・心」等が直接的であれ、間接的であれ、必ず何か思い当たります。

たとえ、「私は、思い当たらない!」と、頑固に言い張ってみたところで、時間をかけてその「真因」を突き詰めれば、必ず「じぶん」にいきつくのです。

なぜならば、このよこころでいきている、いかされているのは、「じぶん」に他ならないからです。

「みなそれぞれじぶんじんせい。」

いかなる事が巡り還りあらわれようとも、「じぶん」が、皆それぞれ、「じぶんじんせい」をいきている、いかしている、いかされていることが、究極の「真因」なのです。


他責するという「こころせんたく」も、自由です。

他責する「こころせんたく」を成せば、それ相応の「じぶんじんせい」が、巡り還りあらわれるだけです。

「こころせんたく」は、自由なのです。



これは、決して昨今の「世界同時不況」のように、ネガティブだと思われることに限ったことではありません。

「しあわせ」も、その「真因」は、「じぶん」です。

今、この時世の中、心豊かに幸せに生きている人もいます。

一方では、今、この時世の中、心貧しく不幸せに生きている人もいます。

とても自然なことです。


「しあわせ」に生きるか否か、すべて、「じぶんこころせんたく」次第のことなのです。

心豊かに幸せに生きる「こころせんたく」をすれば、自然と、心豊かに幸せに生きることができます。

心貧しく不幸せに生きる「こころせんたく」をすれば、自然と、心貧しく不幸せに生きることができます。

とても自然なことなのです。



「因果応報」

「自業自得」

みな、自分の人生に、「かえる」。。。



「かえる」は、「帰る」「還る」であり、「変える」だとも悟らさせていただくことができます。

つまり、今、心貧しく不幸せに生きざるを得ない状況に置かれていたとしても、「こころせんたく」次第で、自分の人生を「変える」こともできるということ。


「因果応報」「自業自得」。。。「みなかえる」。。。

今、たとえ、心貧しく不幸せに生きる状況にあろうとも、「こころせんたく」を変えれば、自分の人生は、その「変えた」ように、「変わる」ということだとも感じ/観じました。






ことばこころじぶんじんせいみなかえる。」とお伝えくださいました。

「因果応報」や「自業自得」の根本は、自分の「ことば」や「こころ」。

今の、自分の人生の根本は、「ことば」であり「こころ」です。

「ことば」や「こころ」が、自分の「行動」に影響を与える。

その「ことば」「こころ」「行動」の連続が、日々の生活となり、「みなそれぞれじぶんじんせい」と成る。


どのような「ことば」を発するか、どのような「こころ」でいきるか、その「こころせんたく」は自由です。

他人様(ひとさま)に発した「ことば」一つでも、結果的に、「じぶんじんせい」に、「みなかえる」。

他人様(ひとさま)に発した「ことば」は、見方を変えれば、「この世」に発した言葉です。

他人様(ひとさま)に発した言葉であろうと無かろうと、「ことば」は、結果的に自分の人生に皆、還るということです。



「ことば」として発しなくとも、「こころ」も同様。

他人様(ひとさま)に向けた「こころ」は、様々な形で、結果的には「じぶんじんせい」に、皆、還るということなのです。

つまり、自分が発した「ことば」や自分が思念した「こころ」は、結果的に、日々、様々な「事象や事情」として巡り還り、顕在化する出来事として、「自分の人生」にあらわれるのです。

他人様(ひとさま)に対する、見下し、貶め、罵り等、昨夜のめでぃてーしょんでもお伝えくださったように、「障り」や「過ち」等が、その心を発した人の人生に、いずれ何らかの事情として必ず巡り還りあらわれます。


【参照】
2009年12月18日(金)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;さべつへんけんのこころさわりあやまちめぐるかえるあらわれる。



今、これをお読みの皆様は、「そんなこと、気にしないようにしよう。」とか「いちいちそんなこと気にしていたら、やってゆけない。」等という「こころせんたく」も自由です。

「こころせんたく」次第の、「じぶんじんせい」を、ご自身が生きるだけだからです。

「じぶんじんせい」は、ご自身以外、いきることはできません。

他の方に、「じぶんじんせい」を代わって生きてもらうことは、できません。

「こころせんたく」次第の、「じぶんじんせい」を、自分自身が、生きるだけなのです。

とても、自然なことなのです。



「ことば」「こころ」により、「じぶんじんせい」を、変えることもできます。

豊かに生きようと、豊かに生きる「ことば」や、豊かに生きる「こころ」を「こころせんたく」すれば、「こころせんたく」次第の、「じぶんじんせい」が、巡り還りあらわれます。

とても、自然なことなのです。



ことばこころじぶんじんせいみなかえる。」。。。

とても、自然なことを、今朝、また改めてお伝えくださったということは、この観点は、今後さらにこのよこころに明確にあらわれ顕在化するのだと強く感じ/観じさせていただきました。







このよこころすべてじぶん。」と、また、改めておつたえくださいました。

この「おつたえ;くげん」「しんい・めっせーじ」は、今まで、幾度も幾度も、おつたえくださいました。

【参照】
2008年9月22日(月)21:00にとどきました。;このよすべてじぶん。
2008年10月22日(水)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;このよすべてじぶんとは。
2008年12月14日(日)8:28にとどきました。;このよすべてじぶんのしんいみちびきしんか。
2009年正月元日(木)14:00にとどきました。;このよすべてじぶんこころのあらわれ。
2009年4月9日(木)7:53にとどきました。;このよすべてじぶんはよきづけ。
2009年6月2日(火)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;これからさらにみなきづくこのよすべてじぶん。
2009年6月8日(月)11:17にとどきました。;みなでいきるいかされるこのよすべてじぶん。
2009年6月11日(木)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;このよおおせんたくこころすめばこのよすべてじぶんすぐわかる。
2009年6月29日(月)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;これからますますこのよすべてじぶんきづく。
2009年7月22日(水)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;あらたなひとひとひとみなつながっておるこのよすべてじぶんみなきょうだいかぞく。
2009年8月13日(木)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;しんのつよさこのよすべてじぶんおやこかぞくつながりしんかする。
2009年9月25日(金)16:58~17:06にとどきました。;じぶんあいしじぶんかんしゃこのよすべてじぶんのしんか。
2009年9月29日(火)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;ひとたにんさとすなかにこのよすべてじぶんさとるしんい。
2009年10月4日(日)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;このよすべてじぶんきづくこれからさらにしんのじぶんしんいあらわれるしんか。
2009年10月9日(金)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;このよすべてじぶんひとたにんじぶんうつすかがみさらにしんのじぶんあらわれる。
2009年10月20日(火)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;このよすべてじぶんひとたにんみくだしおとしめすべてじぶんにめぐるかえるあらわれる。




他人様(ひとさま)に発しているつもりの「ことば」や、自分以外の何かに対して向けている「こころ」は、結局、結果的に「じぶんじんせい」に皆還るということは、つまり、「このよこころ」は、「すべてじぶん」ということだと悟らさせていただくことができます。
(【≪注意≫】「このよこころすべてじぶん。」とは、「我欲の自分」ではありません。)

そして、「こころせんたく」がさらに成され、このよこころの「しんか」がさらに成されるにつれ、より一層奥深い「このよこころすべてじぶん」の「しんい」を悟ってまいります。

「このよこころ」は、まさに「すべてじぶん」であると、きづいてゆくのです。

そして、いずれその「きづき」により「しんか」がさらに成されるにつれ、やがて「しんのじぶん」をきづくように成るのです。

何度も届き、おつたえくださっておりますように、「このよこころすべてじぶん。」とは、「我欲の自分」ではありません。

「しんのじぶん」「真我」をきづくのです。



上記の【参照】に挙げさせていただいたように、「このよこころすべてじぶん」に関して今まで幾度も届いております。

そして、今朝、改めて明確に「おつたえ;くげん」として届きました。

いよいよこれから、今まで以上に私たちは「このよこころすべてじぶん」の「しんい」をきづいてゆくときと成ったのだと「かくしん」させて頂きました。

ますます多くの人々が、「このよこころすべてじぶん」をきづいています。


私たちは、「このよこころすべてじぶん」をきづき、これからさらに「みなでひとつ」「みなでしあわせ」の「しんのじぶん」が、このよこころにあらわれる時となったのだと悟らさせて頂きました。





みなのこころのなかじゃ。
すべてこのよこころのなか。

なにがあってもかんしゃせよ。

かんしゃしてしんかするしんい。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころのせんたく。
しんいはみなでしあわせ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

このよすべてしぜん。

みなそれぞれじぶんのじんせい。
ひとたにんのじんせいいきられん。

みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。

しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

このよすべてじぶん。
みなでひとつ。
みなでしあわせ。

みなちがういのち。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせ。

このよすべてじぶん。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

このよじんせいむだはない。
このよすべてまなび。

このよすべてまなび。
このよすべてじぶん。
このよすべてしぜん。

みなでしあわせみなでひとつ。
みなこころこのよつながっておる。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

しんのつよさすべてをうけいれすべてをあいしすべてをいかすこのよこころしぜんうちゅうのつよさ。

すべてにかんしゃしまなびなせ。

なにがあってもかんしゃすればよい。
かんしゃすればこころせんたく。
かんしゃすればこころせんたくこころすむ。

かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。

ぜんかんしゃ。
しんいみきわめまなびなす。
しんかのみちびき。
しあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

かんしゃこころこのよいきることじゃいかすことじゃ。


かんしゃはいきること。。。。

かんしゃいかすこと。


ぜんかんしゃこのよこころいきることいかすこと。

ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。

しんいはみなでしあわせじゃ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることじゃいかすことじゃ。
しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころせんたくせよ。
かんしゃすればしんいみえる。
しんいみえればまなびなす。
まなびなせばみちびきつかむ。
みちびきこれあらたなるしんかへのみちじゃ。
かんしゃせよ。
かんしゃせよ。
かんしゃせよ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃはいきることじゃいかすことじゃ。

しんいはみなでしあわせじゃ。







すべてに、ありがとう。全感謝。

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プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

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