スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013年1月15日(火)の「できごと」;「スマホ」「パッド」等、人類に役立つ物品を「つかう」心の「ちがい」。

「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。


2013年1月15日、朝の「通勤時」のこと。

前日の「爆弾低気圧」による、突然の大雪に見舞われた東京。

2013年1月15日の朝の都内地下鉄等、交通、鉄道ダイヤが乱れた。

駅構内や通勤電車の中は、通常と異なり「混雑」していた。

<2013年1月15日朝の「できごと」の「けいい」>
1,積雪による交通の乱れを予想し、いつもより「時間と心の余裕」に留意した。

2,都営新宿線のダイヤも「数分遅れ」の状態で、通常よりも「混雑」していた。

3,しかし「混雑」には「波」があるらしく、幸運にも、「いつもの電車」は、通常以上に「空いて」いた。ありがとうございます。

4,市ヶ谷駅で「メトロ南北線」に乗り換えた。

5,「メトロ南北線」も「5~8分程度の遅れ」が生じていた。

6,こちらも「ダイヤの乱れの波」のおかげか、市ヶ谷駅で多くの方々が下車したため、乗車する時には「通常よりも空いて」いた。ありがとうございます。

7,「いつも乗車する、車いすコーナー(優先席)」の「いつもの位置近辺」に乗車した。

8,「優先席付近では、ケータイ等の電源をお切り下さい。(旨)」という車内アナウンスが流れた。

9,「車いすコーナー」でまわりを見わたすと、右の方に「車両連結エリア」で、「スマホ」による「ゲーム」を楽しんでいる30代前半くらいのスーツ姿の男性が視野に入った。

10,真正面「車いすコーナーの最コーナー(=一番奥の角)」には、20代後半~30代の女性がまさにカバンから「スマホ」を取り出し、操作を開始した。

11,左を見ると20代後半位の細身のスーツ姿の男性が「スマホを操作」しながら「わたし」のすぐ左に立った。

12,後ろには「10代後半から20代中盤くらいの私服の背の低い私服の女性」が「スマホを操作」しているような波動・雰囲気を感じた/観じた。

13,「わたし」は、「車いすコーナー(優先席)」で、「スマホ(もしくは何らかの携帯小型端末)を操作する心無い人間度零達」に「囲まれる」状態になってしまった。

14,電車は「四ッ谷駅」に到着し、ここでは「ダイヤの乱れた電車を待っていた大勢の方々」が乗車してきたため、電車内は「市ヶ谷駅での状況」とは逆に、「満員電車的に混雑」してしまった。

15,乗車してきた方々の中に、「ベビーカー」に赤ちゃんを乗せて、さらにその「お姉様」と思われる「3,4歳くらいの淡い桃色の幼稚園の服を着た子供」がそのベビーカーにつかまりながら「お母様」と一緒に乗車してきた。

16,「ベビーカーのお母様」は、「車いすコーナー(優先席)」の「奥の方」に移動しようとしていることを感じ/観じた。

17,「コーナーの奥」には、(上記した)「まさにカバンから「スマホ」を取り出し操作を開始した、20代後半~30代の女性」が立っていた。

18,その女性も「ベビーカーがコーナー奥に入ることを必要としている」ことを察したのか、「スマホを操作しながら」、「わたし」の真ん前に移動してきた。

19,その身体が、「わたし」の身体にぶつかった。

20,その「ぶつかった波動・雰囲気」の中に、「どきなさいよ!」という、「意図」が感じ/観じられた。

21,少なからず、「他人様(ひとさま)にぶつかって、すみません。」という心は残念ながら、一切感じ/観じられなかった。

22,無頓着というか、鈍感というか、その「非礼な心」が、その「優先席エリアでスマホを操作」する「心無い人間度零」の意識では「あたりまえ」なのだろうか。。

23,「わたし」にぶつかった影響で、「わたし」が持っていた「白杖」が移動して、その女性の「足下」に接触してしまった。

24,「わたし」は、すぐに「失礼」を感じたので、「ごめんなさい。(白杖が)ぶつかってしまいました。ごめんなさい。」と「ことば」が出た。

25,その「ことば」は、「状況説明独り言発作」の「発端」だった。

26,その「混雑した車いすコーナーでスマホを操作しながら女性がぶつかってきた」ことを「きっかけ」に、「心無い人間度零達に前後左右取り囲まれ」た「わたし」は、とうとう「精神不安定;状況説明独り言発作」が生じてしまった。

27,「混雑していない状況」であればまだしも、「混雑した電車内の、車いすコーナー(優先席)で、スマホを操作している心無い人間度零がぶつかったこと」を「きっかけ」に、「混雑した電車内の、車いすコーナーにいる「わたし」は、(上記したように)右、左、後、前、「四方」を「混雑した電車内の、車いすコーナーでスマホ等携帯端末を操作する心無い人間度零達」に「囲まれて」しまった状況になった。

28,「精神不安定;状況説明独り言発作」は続いてしまった。

29,真正面の女性に向かって「電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。。。」と、何度も「状況説明独り言発作」が多発してしまった。

30,同様に、左にいた男性に向かっても、「電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。。。」と、同じ独り言が多発してしまった。。。

31,さらに右にいた男性にむかっても電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。電源をオフにしなくても、謝らなくても大丈夫ですよ。(私が代わって謝ります。)ごめんなさい。。。」と、同様に多発した。。

32,周りにいた「混雑した電車内の車いすコーナーでスマホ等携帯端末を操作する心無い人間度零」は、「自分」にようやく気づいたのか、ようやく「スマホ等携帯端末の使用」を止めて、まっすぐに立った。
(混雑した電車内では、「スマホ等携帯端末を操作する姿勢」は、肘や腕が周りの方々にぶつかり、周りの方々はその「ぶつかる肘や腕等」に不快を感じる/観じることがある。混雑した電車内では、「まっすぐに立つ」ことが「さいぜん」だと感じる/観じる。)

33,その後もしばらく「精神不安定;状況説明独り言発作」は止まらず、「混雑した電車内の優先席付近で電源を切らなくて、(私が代わりに謝ります。)ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。。。「わたし」が謝ります。ごめんなさい。ごめんなさい。。。気の済むまで謝ります。ごめんなさい。ごめんなさい。。。。「わたし」の気の済むまで!」と、「発作」が続いてしまった。

34,「永田町」に到着し、何人かの方々が下車したおかげで、車内は、多少スペースが生じ、「ベビーカーのお母様やお子様達」も、少し安心した波動・雰囲気を感じた/観じた。

35,お子様達が周りを見渡していたので、「気をつけてねぇ。気をつけてねぇ。。」と、「ことば」が発せられた。

36,子供達は「サングラスをしている『わたし』」の方を見て、「微笑みと(サングラスの印象からの)困惑」に近い波動・雰囲気を発したことを感じた/観じたので、サングラスを頭上にずらして、

37,「サングラスをかけていては驚いちゃうね。サングラスをはずすと、こんな目をしていますよ。」と言って、サングラスを頭上にずらして「目」を見せて、子供の方に微笑んだ。

38,子供からは、ようやく「安心の笑顔」が生じたことを感じ/観じた。

39,お母様の方に向かって「私の脳には障がいがあります。発達障がいです。私の脳には障がいがあります。発達障がいです。」と「ことば」が生じた。

40,お母様も、「理解」をしてくださったのか、優しく微笑んでくださった。ありがとうございます。

41,「お気をつけ下さいね。『わたし』も気をつけます。ありがとうございます。」とさらに「ことば」が生じた。

42,ようやくいつも下車する「溜池山王駅」に到着したので、「降りまぁす。前の方に続いて降りまぁす。」と言いながら、安全に下車できた。

ありがとうございます。


「スマホ」等、便利な物品は素晴らしい。

人々の「コミュニケーション」等に役立つ。

しかし、「混雑した電車内」や「電源を切る」という「ルール等のある場所」で(ルール等や周りの他人様(ひとさま)のことを無視し調和せず)操作すること、「前方不注意になりやすい危険な歩行操作」をする「心無い人間度零が前方からふらふらと接近してくること」等は、「わたし」に「精神不安定発作」を生じさせてしまう。


。。。



人類に役立つ物品は、素晴らしい。。。

しかし、それを「使用する人類」が、「心ある『ひと』」か、「心無い人間度零」か。。。

その「ちがい」。。。

その「ちがい」の「なか」に、「きづき」「まなび」がある。


「わたし」はその「ちがい」にも、

「すべて」に感謝します。



ありがとうございます。




<以下、『「信号」や「法」「ルール」等を「まもる」「こころ」。』からの抜粋。>
「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。
2013年正月5日(土)。



2013年正月二日に、以下の頁にも追記し明示させていただきましたが、

<【参照】『「Tipping Point (ティッピング・ポイント)」と「Critical Mass (クリティカル・マス)」』>
<【参照】『「みなでひとつ。みなでしあわせ。」「こころせんたく」の「Tipping Point (ティッピング・ポイント)」と「Critical Mass (クリティカル・マス)」』>
<【参照】『「つぎ」がめぐりかえりあらわれないためへの「心の叫び」。』
<【参照】『2012年1月28日; 「このよおおせんたく ■■■ はじまり。」』



「信号」や「法」を「まもる」「こころ」、

法の順守、コンプライアンス精神等は

決して「法やルール等に支配されそれらの度零」になっているのではありません。



(『ひと』は、

「法やルール等」に支配される必要もないですし、

「法やルール等」の度零になる必要も

全くありません。)




残念ながら

「信号」や「法」「ルール」等を

「まもる」「こころ」の無い

「しんか」乏しい

「心無い人間度零」は、

「このよこころすべてかがみ。(「鏡の法則」等)」により

「法やルール等」を「まもる」『ひと』に対して

「法やルール等に支配され法やルール等の度零」であると

感じて/観じてしまうようですが、

心ある『ひと』にとって

「法やルール等を「まもる」」という「こころ」は、

「法やルール等に支配され法やルール等の度零」になるのではなく、

「このよ」に存在している法やルール等に対する

「けいい」の心により、

「法やルール等」との

「調和の心」「しんのわ」によるものです。



「あしきごかい」なきよう。ご理解いただけましたら幸いに存じます。

ありがとうございます。






【★ご留意★】心ある「ひと」と、心無い人間(度零)の「ちがい」。
外見は、同じ「人類」であっても、心ある「ひと」と、心無い「人間(度零)」とは異なることも「しぜん」です。
心ある「ひと」と、心無い「人間(度零)」が異なっていることは、差別や偏見等ではなく、「ちがい」という、とても「しぜん」な「区別」です。
人類において、「女性」と「男性」とが肉体的に明確に異なり、「ちがい」が存在し、そして「区別」されているように、心ある「ひと」と、心無い「人間(度零)」とは精神的に「こころ」の観点から明確に異なり、「ちがい」として「区別」されます。
「ちがい」の「区別」には、「上下優劣判断意識」はございません。
悪しき誤解無きよう。ありがとうございます。
心ある「ひと」と、心無い「人間(度零)」は、確定・固定された「区別」ではなく、可逆的です。
心無い「人間(度零)」も、「こころせんたくしだい」で、心ある「ひと」に成ることができます。
また、心無い「人間(度零)」という表現を残念ながらせざるを得ない理由は、心無い「人間(度零)」は「しんのじぶん」を「きづいて」おらず、我欲/強欲や形骸化した常識等に囚われ、社会意識や集団意識等に隷属する傾向が強いからです。
心ある「ひと」は、社会意識や集団意識等に隷属せず調和しながら、「しんのじぶん」を「きづいて」いる(「きづこう」としている)人類です。
同じ「人類」でありながら、心ある「ひと」と、心無い「人間(度零)」が「このよ」に存在する「しぜん」。
「わたし」は「すべて」に、感謝します。
ありがとうございます。

{以下『「ひと」の時代 の「到来;Advent」 。』からの抜粋。}
【◆◆厳重留意◆◆】
これらの観点には「善悪判断」や「差別偏見意識」等は意図されておりません。「ひとみないちれつみなたいら。」であり、「ひとりひとり」「しんのじぶん」が皆「それぞれ」に素晴らしく、「みなそれぞれじぶんじんせい」の「さいぜん」が何よりも尊く愛おしいからです。
仏教でいうところの「六道」や「十界」が、「このよこころ」「いま」現在に「しぜん」と存在しているような状況を言及したものです。
「こころせんたくしだい」、心ある「ひと」に「じゆう」に「しぜん」と成ることができます。
これらの観点はあくまでも、「こころせんたく」の「あらわれ」としての「ちがい」に言及し、例えば、同じ家族の中でも、「日々阿修羅界」に生きている方もいらっしゃれば、同じ家族の中でも「日々、天道」をいきる人もいらっしゃり、「同じ家族の一員」としてそれぞれの「人生」を生きていたとしても、それぞれの「こころせんたく」は異なり、各自の日々の「現実」における、それぞれの「こころせんたくしだい」の、「あらわれ」「めぐりかえりあらわれ」もまた、異なり、「しぜん」と「ちがい」がそれぞれの人生に顕在化しているように、同じ「人類」の中でも、「こころせんたくしだい」により、各自皆「異なった人生」であり、その明確な「ちがい」をこの場で言及しているにすぎません。
「このよこころすべてまなび。」「ちがい」は「まなび」の「きっかけ」だと理解し、感謝しています。ありがとうございます。
万が一、「差別偏見だ!」「誹謗中傷に値する!」等のような「悪しき感覚」や、「何を言っているのかわからない!」等のような「理解能力・脳力の不足等による心理的・精神的な抵抗感や拒否拒絶感」等が生じた際には、「このよこころすべてかがみ」。
「ご自身」の「あしきこころせんたく」「あしきごかい」等の「こころあらわれ」として、「理解」することができます。
何卒、「あしきごかい」なきよう。
その「こころ」をご理解いただけましたら幸いに存じます。
ありがとうございます。
「わたし」は「すべて」に感謝します。
ありがとうございます。

{抜粋ここまで}




しんいはみなでしあわせ。」

ありがとうございます。
{抜粋ここまで}



わたし」は、「いま」できる「このよこころ」の「さいぜん」を成し、

「わたし」は、「すべて」に感謝します。

「みちのかみ」「やみわかみ」「このよこころ」「すべて」「しぜん(自然/至全/至善/至禅/自禅)」。

みなでひとつ。みなでしあわせ。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。


ありがとうございます。



「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。


すべてに、ありがとう。全感謝。

{【2013年2月2日の変更】『2013年2月2日(土)14:00過ぎ「隅田川河畔ランニングコーナー」での出来事;「殺したい心にも『愛』を感じた/観じた「このよ」への『愛』。。。全感謝。」』に記したように、「どれい」という表現は「あしきごかい」を浄化させるため、「度零」に変更いたしました。
ありがとうございます。}



{注;以下、「スポンサー」が表示される場合がございます。このブログはスポンサーの協力により高速表示等が可能となっております。「スポンサーおよびその内容」等に関しては、ブログ「すべてに、ありがとう。全感謝。」の管理者まがたまぱじゃま。は一切関与しておらず、ブログ運営会社FC2 Inc.によるものです。}
スポンサーサイト

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

カテゴリ
最新記事
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。