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まがたまぱじゃま。に『しぜん』と融合する「■■」に関して

「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。


<2012年4月25日追記>
以下の記事内で、決して「3.11以前の社会が悪」と言っているのではないことをご理解頂けましたら幸いに存じます。
「3.11以前の社会」もそれは素晴らしい社会だったと感謝しております。
ありがとうございます。
ただ、「3.11以前の社会」は「この国のありさま」により明白ですが、「みなでひとつ。みなでしあわせ。」が実現せず、永続せず、「このよおおせんたくおおつなみ」に関して2010年12月頃から事前に幾度も「おつたえ」させていただいていたにも関わらず、「みなのこころせんたくしだい」により、あの「3.11の現実」として「めぐりかえりあらわれた」「しぜん」。
「3.11以前の社会」も、多くの「まなび」があったとても素晴らしい社会だったと心から感謝しております。
ありがとうございます。
「悪しき誤解」なきよう。心ある「ひと」の「理解能力・脳力」に重ね重ね感謝申し上げます。
ありがとうございます。
<追記ここまで>



「世が激変する時」には、「今までにない観点」がとても重要な役目を果たし、「世が激変する」ということは「今までとは異なった観点の世になる」ということです。

その「変化の真っ只中」の時には、「今までにない観点」があまりにも「今までの観点」と異なりすぎてしまうので、強烈な印象を与えかねませんが、これから「5年後、8年後、10年後」、「あらたなる世(しんせい日本)」となった時には、これから「おつたえ」させていただく観点は、なんら「あたりまえ」の観点だと「理解」される社会となっていることと「かくしん」しております。
ありがとうございます。

(以下は、『「つぎ」がめぐりかえりあらわれないためへの「心の叫び」。』への「追記」としても記させていただきました。)
以下の文中内で心ない人間による悪しき誤解や疑念等が生じてしまう懸念もございますので、一部「こころせんたく」を成した「こころ」ある「ひと」だけが読めるようにさせていただきました。ご了承下さい。ありがとうございます。



<「まがたまぱじゃま。に『しぜん』と融合する「怨念」に関して>

1,まがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合する「これまでの社会で排除され自殺した怨念」や「3.11で無念にもこの世を去ることになった念」達は、決して「悪を成す」ためにまがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合するのでは無いことを、まがたまぱじゃま。も「理解」した上で、「どうぞどうぞ、どうぞご自由に、御融合なさい。どうぞどうぞ。。どうぞどうぞ。。。」と、「怨念や想念」をも排除せず、「理解」し受け入れております。

2,再記しますが、まがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合する「怨念や念」達の目的は、決して「悪を成すためのものではない」ということです。

3,そして「しぜん」とは「しぜん(自然/至全/至善/至禅/自禅)」です。

4,つまり、「全」や「善」や「禅」に「至る」もしくは「自らがそれらである」という観点を「理解」した上で、「怨念や念」達は、「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合してくるのです。

5,だから、まがたまぱじゃま。も、その「怨念や念」を排除せず、「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合させることができるのです。

6,そして、その「怨念や念」は、まがたまぱじゃま。の「こころ」と同じく、「世がしんかする目的」という観点で「同調」「共鳴」「共感」しています。

7,その「しんい」にそぐわない事情(=例えば他人様(ひとさま)にぶつかっても無視をして謝ることをしない等)に対して、「しぜん」とその「怨念や念」達は、「しんい叶わぬ悪しき事情」に飛んでゆき、その後、その対象に対して何らかの「しぜん」の作用を施すものと考えられます。

8,(ただし、まがたまぱじゃま。は一切まがたまぱじゃま。に融合する「想念や念」に関知せず、全く「じゆう」に「しぜん」と存在しているので、飛んでいった「怨念や念」が、その対象にどのようなことを「成す」かは、存じません。あくまでも「飛んで行くこと」は感知できますが、「その後」は全く「怨念や念」の「自由」であり「しぜん」です。)

9,まがたまぱじゃま。は「しんいかなう正しき事象」と成るような「変化(しんか)」を、その対象に成していることと察しております。

10,以上のように、「これまでの社会通念」では、「怨念や念」に関しては、「悪しきもの」「嫌なもの」「厄介なもの」等、「ネガティブ」に捉えがちで、その「怨念や念」を「理解」しようともせず、表層的で軽率な「浅はかな観点」から、「怨念や念」は「悪い存在」と決めつけ、「排除する」という短絡的な対応をしがちだったと感じて/観じております。

11,そのように、「怨念や念=悪」という「軽率な社会通念」の結果が「いまのこの国のありさま」として顕現しているという観点もございます。

12,今、まさに真っ最中である「激変の社会」「大転換中の社会」においては、(上記したように)「しんいかなう社会にに変化(しんか)させる役目・目的」を持った「怨念や念」が存在していることを、「理解」する必要があると、強く感じて/観じている次第です。

13,「これまでの社会から排除された怨念」は、つまりは「今崩壊しているこれまでの社会にはそぐわなかった魂たち」です。

14,「今崩壊しているこれまでの社会」が、「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の「しんいかなうしんのしあわせ」を実現し、今後も「永続する」「しんのしあわせな社会」であったなら、昨今のような「この国のありさま」とはならなかったはずです。

15,昨今のような(特に「3.11」直前のような「ひとのこころがズタズタに寸断され、物質は豊富でも「ひとのこころ」が貧弱・貧困な社会等)「この国のありさま」になってしまったことは、つまりは、「今崩壊している(崩壊が進んでいる)これまでの社会」は、「3.11」無く、あのままでは決して、「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の「しんいかなうしんのしあわせ」をこの世に実現しなかったということです。

16,「今崩壊が進んでいるこれまでの社会」にそぐわず、排除され「自殺に追いやられた怨念」達のうち、「しんいかなう社会のしんせい」を願いつつ、「しんいかなわぬ、今崩壊が進んでいるこれまでの社会に恨みをもって怨念となった魂」も多数存在しています。

17,【★★最重要観点★★】そのような「しんいかなうしんのしあわせの社会」を願いつつ、「しんいかなわぬ、今崩壊が進んでいるこれまでの社会に恨みをもって怨念となった魂・怨念」達が、「しぜん」と、まがたまぱじゃま。に融合しているのです。

18,従って、「今崩壊している(崩壊が進んでいる)これまでの社会における常識・通念」では、「怨念」は「悪」とされがちですが、その「怨念に対して深い理解」をすることにより、決してその存在は「悪」というわけではないと「理解」できるのです。

19,「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合している「怨念や念」は、死後のかれらの「おやくめ」をしっかりと自覚して、まがたまぱじゃま。の「こころ」と同様に、まがたまぱじゃま。の「こころ」に共感・共鳴している「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」が実現することを願っている「怨念や念」達なのです。

20,このように、「怨念や念」に対する「深い理解」をすることにより、「ただしいおやくめをもった怨念や念」が「いきる」のです。

21,「怨念や念」を、軽率な浅はかな観点で排除するのではなく、「深い理解」により、「怨念や念」が「いきる」のです。
(再記します。)
怨念や念」を、軽率な浅はかな観点で排除するのではなく、「深い理解」により、「怨念や念」が「いきる」のです!!!

22,以上の「しんいかなう観点」を、「今の崩壊している(崩壊が進んでいる)社会に生きてきた人間達」が、どれだけ「理解」する能力・脳力をもっているか、全く不明ですが、心ある「理解する能力・脳力」をもっている「ひと」達は、以上の、「まがたまぱじゃま。のこころ」を「理解」してくださると、信じています。。。

23,従って、本観点は、「まがたまぱじゃま。に『しぜん』と融合している怨念や念」に対して、軽率で浅はかな「悪しき誤解」はせず、「深い理解」をする能力・脳力があるか否かの、「見極め」ともなっています。

24,それは、「怨念や念が付いているものは、悪しき存在だから、除霊したり、怨念や念を排除しなければならない」というような観点でまがたまぱじゃま。を見る(悪しき判断をする)「心ない人間」は、そのような「浅はかな心の持ち主」であり、「しんあい/真愛/神愛」の心は持っていないことの「見極め」となるのです。

25,これからの社会(「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」の社会)では、「理解能力・脳力」がとても大切になります。

26,軽率な「悪しき判断」をするのではなく、どれだけ「他人様(ひとさま)」を理解することができるか、受け入れることができるか、受け入れられなくとも、理解できなくとも、「排除せずにいられるか」。。。という、観点がとても重要になります。

27,「このよにむだない。」。。。この世に生まれてきた「いのち」には、「排除される存在」は無いのです。

28,この世に生まれてきた「いのちの仲間」たちは、何一つとして「無駄」はなく「排除される必要」も無いのです。

29,排除されるのではなく「理解」されるべき存在なのです。

30,「理解する」「理解される」ことにより、「理解する側」も「理解される側」も「いきる」ことができるのです。

31,「今崩壊している(崩壊が進んでいる)社会で」、「非難しあったり」「排除しあったり」する行為は、「精神や存在を殺し合っている(消しあっている)」ようなものです。

32,「今崩壊している(崩壊が進んでいる)社会」は「殺し合いの社会」だったのです。
(そのような「殺し合いの社会」の「ありさま」が、昨今の「この国のありさま」です。。つまり「殺し合いの社会」の結末は、「自らの存在すら殺してしまう」つまり「(永続することなく)自滅・崩壊させてしまう」社会ということです。)

33,これからは、「殺し合いの社会」ではなく「まさに共生の社会」「ともにいかしあう社会」「ともにいきる社会」に「しんか」するのです。

34,それが「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」の永続する社会なのです。

【補足】
「しんいかなうただしきこころせんたく」をしている「ひと」には、「わたし」に「しぜん」と融合している「怨念」達は飛んで行ったことがありません。
ありがとうございます。




「ご理解能力・脳力」に感謝しています。

「みなでひとつ。みなでしあわせ。」

ありがとうございます。

「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。



すべてに、ありがとう。全感謝。
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プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

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