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「つぎ」がめぐりかえりあらわれないためへの「心の叫び」。

「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。


【2012年1月20日(金)帰宅時の出来事】

(以下、本日の出来事が「精神的鬱積」となり、精神衛生上、不健康であると強烈に感じ/観じたため、こうして「文字」として、心の外に出すことにいたしました。ありがとうございます。)
(【2012年1月22日修正補足】以下の文中内で「こころせんたく」を成さない人間による悪しき誤解や疑念等が生じてしまう懸念もございますので、一部「こころせんたく」を成した「ひと」だけが読めるようにさせていただきました。ご了承下さい。ありがとうございます。)

1,数日前までは「晴天」続きで天候が安定していたため、体調も安定していた。

2,昨日から天候は「曇りのち晴れ」となり、天候は下り坂で、上空の大気の変化が著しくなり始めた。

3,さらに上空には「この冬一番」と言われるほどの強烈な「寒気」も接近していた。

4,本日は朝から「霧雨・氷雨」がさらさらと降り、日中は都心でも「初雪」が観測された。

5,本日午後から、「とある出来事」を「きっかけ」に、さらに上空の「大気の不安定さ」と「接近する強烈な寒気」のため、体調・精神状態が極度に不安定になってしまった。

6,帰宅時、「社会の差別や偏見、軋轢等のために、この世に恨みや無念さを残して自殺した人々」や「みなのこころのせんたく」の「めぐりかえりあらわれ」として生じてしまった「3.11」の犠牲になった人々等の辛く悲しい「怨念」が、いつものように「わたし」に「しぜん」と融合してきた。
【厳重留意】3.11」でお亡くなりになられた方々は、ある意味「みなのこころせんたくしだい」の「犠牲者」です。)

7,「わたし」は「すべて」に感謝をする。

8,いかなる存在であろうとも、差別や偏見、排除等はしない。

9,「どうぞ。どうぞ。ありがとうございます。」と、「すべて」を受け入れ、愛し、そして「いかす」。

10,「わたし」に「しぜん」と融合するそれらの「怨念」をも、一切排除はしない。

11,ただただ、「どうぞ。どうぞ。ありがとうございます。」と、「すべて」に感謝をしている。

12,いずれ、その「融合された怨念」等もそれぞれの「おやくめ」を果たし、「いきる」のだ。

13,「わたし」にぶつかってくる人間や、後ろから無頓着に猛スピードですぐ横を通り過ぎてゆく危険な自転車。

14,「信号無視」や「横断禁止エリア」を横断する人間達、「見下し・差別・偏見・貶め・罵り・悪意等を仕向ける人間」達など「しんいかなわぬあしきこころせんたく」をしている人間達に「感謝」の気持ちを向けることにより、「わたし」に「しぜん」と融合した「怨念」達が「いきる」。

15,「わたし」は指示や依頼は一切しない。

16,ただただ、「どうぞ、どうぞ。ありがとうございます。」と「すべて」に感謝するだけだ。

17,すると、その「怨念」達は、「見下し・差別・偏見・貶め・罵り・悪意等を仕向ける人間」、「不注意にぶつかってくる人間」や「モラル意識乏しく、信号無視をする人間」や、「コンプライアンス意識に欠けた人間」などに、喜んで「しぜん」と飛んで行く

18,その後、その「怨念」達が、それらの「見下し・差別・偏見・貶め・罵り・悪意等を仕向ける人間」や「モラルの欠けた人間の人生」にどのような「作用」を生じさせるかは、「わたし」は一切知らない。

19,ただ、「わたし」に一時「しぜん」と融合した「怨念」達は、「見下し・差別・偏見・貶め・罵り・悪意等を仕向ける人間」や「モラルの欠けた、意識の低い人間達」に、喜んで飛んで行くことにも、ただただ「どうぞ、どうぞ。ありがとうございます。」と、「すべて」に感謝をしている。
ありがとうございます。

20,本日、帰宅時、営団メトロ南北線「溜池山王駅」で、いつも利用している障がい者用の、他の改札よりも幅が広い改札を入ろうとした時、前方から「我先に」と、その改札を出ようとしている人間と正面衝突をしそうになった。

21,「わたし」はとっさに、「どうぞ、どうぞ。お先にどうぞ。ありがとうございます。」と、その我欲/強欲剥き出しの人間を先に通し、なんとかぶつからずにいつもの「杖先1/4を薄緑色に着色してある白杖」をついて、無事にいつもの「障がい者用」の改札を通過することができた。

22,「わたし」に「しぜん」と融合していた「怨念」達が、その人間に喜んで飛んでいった。ありがとうございます。

23,その後、その我欲/強欲剥き出しの人間がどうなったかは、「わたし」は一切知らない。

24,「わたし」はただただ、感謝させていただいた。ありがとうございます。

25,しかし、改札で前方から我欲/強欲剥き出しの人間と「正面衝突」をしそうになったことが「きっかけ」で、精神不安定気味が生じてしまった。

26,ホームに降りるまで「どうぞ、どうぞ。お先にどうぞ。ありがとうございます。どうぞ、どうぞ。お先にどうぞ。ありがとうございます。どうぞ、どうぞ。お先にどうぞ。ありがとうございます。。。」と、小さな声の独り言が止まらなくなってしまった。

27,ホームで電車を待っている時、今度は「私の精神状態は、いつも不安定です。私の精神状態はいつも不安定なので、不安定な状態が安定していると言うことです。私の精神状態は、いつも不安定です。私の精神状態は、いつも不安定です。私の精神状態はいつも不安定なので、不安定な状態が安定していると言うことです。私の精神状態は、いつも不安定です。私の精神状態は、いつも不安定です。私の精神状態はいつも不安定なので、不安定な状態が安定していると言うことです。。。」と、比較的大きな声の「独り言発作」が多発してしまった。
(周りの皆様にはご心配・ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。)

28,無事に乗車し、しばらくして落ち着き、独り言は止まった。

29,無事、「市ヶ谷駅」で下車ができ、都営線「市ヶ谷駅」に向かった。

30,都営線内では、比較的精神状態は安定していた。

31,都営線内では、「独り言発作」も生じなかった。

32,都営線「馬喰横山駅」で下車して、無事に改札も出て、そして、いつもの出口に通じる階段にさしかかった時、

33,「わたし」の前方を歩いていた「20代の小柄の人間(性別;女)」が、傘を階段や路面に「垂直」に持たずに、傘の先の「とがった金属の先端」を後ろに向けて振りながら、歩いていた。

34,そのまま階段を上ると、前方のその人間が、周りの他人様(ひとさま)への配慮の意識無く、無頓着に「傘の先端のとがった金属」を後ろに振るので、後ろを歩く人にとってみれば、まるでその「とがった金属の先端」が目に突き刺さるような恐怖をも感じる/観じる。

35,今までの経験から、「前を歩く人間が、傘を路面に垂直に持つような周りの人への配慮をせず、上記の女のような、傘を振りながら歩く人間」は、たいてい「心無い、意識の低い人間」である傾向が強い。

36,そのような「心ない、配慮能力・脳力の乏しい、意識の低い人間」は、コンプライアンス意識も低く、自己判断能力・脳力も乏しく、大衆に本人も気づかず迎合してしまうような、浅はかな「我欲/強欲」に基づいてこの世に存在している傾向が強い。

37,いつもの出口に通じる階段を、致し方なく、その「心ない、配慮能力・脳力の乏しい人間」の後ろから昇ることになってしまった。

38,いつもの出口につき、嫌な予感がした。。「もしかして。。。」

39,その「心ない、配慮能力・脳力の乏しい人間」は、やはり「信号無視」をし始めた。。

40,少し離れた横断歩道の所では、比較的大勢の人々が規律正しく、適切に「信号が青に変わる」のを待っていた。

41,しかし、あの「心ない、配慮能力・脳力の乏しい人間」は、横断歩道から外れたところを、横断し始めた。。

42,「わたし」は、最初、小さな声で「赤ですよ。赤ですよ。赤ですよ。(信号が)見えないのですか。」と呟いていた。

43,その「心ない、配慮能力・脳力の乏しい人間」は、次第にさらに道路を横断し始めた。

44,「わたし」の声も、次第に大きくなり「赤ですよ!赤ですよ!赤ですよ!(信号が)見えないのですか!!赤ですよ!赤ですよ!赤ですよ!(信号が)見えないのですか!!」と、叫ぶほどになっていた。

45,さらに、向こうから、50代中盤と見られる男が、また「信号無視」で道路を横断しているのが見えた。

46,「わたし」はその「モラル意識能力・脳力の乏しい人間」に向かって、叫ぶような大きな声で「赤ですよ!赤ですよ!赤ですよ!(信号が)見えないのですか!!赤ですよ!赤ですよ!赤ですよ!(信号が)見えないのですか!!」と、続けた。

47,やがて信号が青になり、規律正しく待っていた人々も横断を始め、「わたし」も横断歩道を渡った。

48,その道中、突然「つぎ」の「めぐりかえりあらわれ」のことが頭をよぎり、だんだん姿が小さくなって行くあの「モラル意識能力・脳力の乏しい人間」の方に向かって、「あなたの心に感謝します!!!あなたの心に感謝します!!!あなたの心に感謝します!!!ありがとうございます!!!」と、悲しみを伴いながら、幾度も叫んだ。

49,「わたし」に「しぜん」と融合していた多くの「怨念」達が、あの「心ない、配慮能力・脳力の乏しい女」と「モラル意識能力・脳力の乏しい男」の方に「しぜん」と飛んでいった

50,どうか「つぎ」が「めぐりかえりあらわれない」ように、「わたし」ができるせめてものことを精一杯させていただく。

51,「モラル意識能力・脳力の乏しい人間」にも感謝をさせて頂き、「わたし」に「しぜん」と融合している「怨念」達が、その人間に飛んで行く

52,どうか、どうか、どうか、「モラル意識能力・脳力の乏しい人間」等の「みなのこころせんたくしだい」の「つぎ」が「めぐりかえりあらわれない」ことを祈りながら。。「すべて」に感謝させていただいた。ありがとうございます。



2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
2月中・下旬ころから3月には日本社会が『この世地獄』になりませぬように。。
。。。


ありがとうございます。


【補足】
「しんいかなうただしきこころせんたく」をしている「ひと」には、「わたし」に「しぜん」と融合している「怨念」達は飛んで行ったことがありません。
ありがとうございます。




【2012年1月28日追記】 【≫厳重留意≪】
この世、この社会等に「悪しき想念(恨み、僻み、嫉み等)」を持っている人間が、「わたし」に何らかの精神的な影響を与えたり「この世に悪しきめぐりかえりあらわれ」を顕在化させる等の目的により、「意図的」に「わたし」の目の前で「信号無視」等をしたり、「意図的にぶつかってきたり接触する」等の行為が見受けられます。
そのような「あしきこころせんたく」も「わたし」は感謝させていただきます。
そのような我欲/強欲に起因した「不自然な悪しき意図」により「わたし」の目の前で「信号無視」等をしたり、「意図的にぶつかってきたり接触する」等の行為をしたとしても、それは「みなのこころせんたく」にはさほど影響いたしません。
そのような、その個人の我欲/強欲に起因する「不自然な悪しき意図」による「行為」は、「みなのこころせんたくしだい」として「めぐりかえりあらわれる」というよりも、結果的に「その個人の人生」およびその「関係者」にその「あしきこころせんたくしだい」が「めぐりかえりあらわれる」「しぜん」です。

念のため、この場でおつたえさせていただきます。
ありがとうございます。


<2013年正月2日追記;「信号」や「法」を「まもる」「こころ」、法の順守、コンプライアンス精神等は決して「法やルール等に支配されそれらの度零」になっているのではありません。「心無い人間度零」は「このよこころすべてかがみ。(「鏡の法則」等)」により「法やルール等を「まもる」ひと」に対して「法やルール等に支配され法やルール等の度零」であるとみえてしまうようですが、心ある「ひと」にとって「法やルール等を「まもる」」という「こころ」は、「このよ」に存在している法やルール等に対する「けいい」の心により、「法やルール等」との「調和の心」「しんのわ」によるものです。「あしきごかい」なきよう。ご理解いただけましたら幸いに存じます。ありがとうございます。>



【2012年4月15日追記】
<「まがたまぱじゃま。に『しぜん』と融合する「怨念」に関して>
1,まがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合する「これまでの社会で排除され自殺した怨念」や「3.11で無念にもこの世を去ることになった念」達は、決して「悪を成す」ためにまがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合するのでは無いことを、まがたまぱじゃま。も「理解」した上で、「どうぞどうぞ、どうぞご自由に、御融合なさい。どうぞどうぞ。。どうぞどうぞ。。。」と、「怨念や想念」をも排除せず、「理解」し受け入れております。
2,再記しますが、まがたまぱじゃま。に「しぜん」と融合する「怨念や念」達の目的は、決して「悪を成すためのものではない」ということです。
3,そして「しぜん」とは「しぜん(自然/至全/至善/至禅/自禅)」です。
4,つまり、「全」や「善」や「禅」に「至る」もしくは「自らがそれらである」という観点を「理解」した上で、「怨念や念」達は、「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合してくるのです。
5,だから、まがたまぱじゃま。も、その「怨念や念」を排除せず、「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合させることができるのです。
6,そして、その「怨念や念」は、まがたまぱじゃま。の「こころ」と同じく、「世がしんかする目的」という観点で「同調」「共鳴」「共感」しています。
7,その「しんい」にそぐわない事情(=例えば他人様(ひとさま)にぶつかっても無視をして謝ることをしない等)に対して、「しぜん」とその「怨念や念」達は、「しんい叶わぬ悪しき事情」に飛んでゆき、その後、その対象に対して何らかの「しぜん」の作用を施すものと考えられます。
8,(ただし、まがたまぱじゃま。は一切まがたまぱじゃま。に融合する「想念や念」に関知せず、全く「じゆう」に「しぜん」と存在しているので、飛んでいった「怨念や念」が、その対象にどのようなことを「成す」かは、存じません。あくまでも「飛んで行くこと」は感知できますが、「その後」は全く「怨念や念」の「自由」であり「しぜん」です。)
9,まがたまぱじゃま。は「しんいかなう正しき事象」と成るような「変化(しんか)」を、その対象に成していることと察しております。
10,以上のように、「これまでの社会通念」では、「怨念や念」に関しては、「悪しきもの」「嫌なもの」「厄介なもの」等、「ネガティブ」に捉えがちで、その「怨念や念」を「理解」しようともせず、表層的で軽率な「浅はかな観点」から、「怨念や念」は「悪い存在」と決めつけ、「排除する」という短絡的な対応をしがちだったと感じて/観じております。
11,そのように、「怨念や念=悪」という「軽率な社会通念」の結果が「いまのこの国のありさま」として顕現しているという観点もございます。
12,今、まさに真っ最中である「激変の社会」「大転換中の社会」においては、(上記したように)「しんいかなう社会にに変化(しんか)させる役目・目的」を持った「怨念や念」が存在していることを、「理解」する必要があると、強く感じて/観じている次第です。
13,「これまでの社会から排除された怨念」は、つまりは「今崩壊しているこれまでの社会にはそぐわなかった魂たち」です。
14,「今崩壊しているこれまでの社会」が、「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の「しんいかなうしんのしあわせ」を実現し、今後も「永続する」「しんのしあわせな社会」であったなら、昨今のような「この国のありさま」とはならなかったはずです。
15,昨今のような(特に「3.11」直前のような「ひとのこころがズタズタに寸断され、物質は豊富でも「ひとのこころ」が貧弱・貧困な社会等)「この国のありさま」になってしまったことは、つまりは、「今崩壊している(崩壊が進んでいる)これまでの社会」は、「3.11」無く、あのままでは決して、「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の「しんいかなうしんのしあわせ」をこの世に実現しなかったということです。
16,「今崩壊が進んでいるこれまでの社会」にそぐわず、排除され「自殺に追いやられた怨念」達のうち、「しんいかなう社会のしんせい」を願いつつ、「しんいかなわぬ、今崩壊が進んでいるこれまでの社会に恨みをもって怨念となった魂」も多数存在しています。
17,【★★最重要観点★★】そのような「しんいかなうしんのしあわせの社会」を願いつつ、「しんいかなわぬ、今崩壊が進んでいるこれまでの社会に恨みをもって怨念となった魂・怨念」達が、「しぜん」と、まがたまぱじゃま。に融合しているのです。
18,従って、「今崩壊している(崩壊が進んでいる)これまでの社会における常識・通念」では、「怨念」は「悪」とされがちですが、その「怨念に対して深い理解」をすることにより、決してその存在は「悪」というわけではないと「理解」できるのです。
19,「しぜん」とまがたまぱじゃま。に融合している「怨念や念」は、死後のかれらの「おやくめ」をしっかりと自覚して、まがたまぱじゃま。の「こころ」と同様に、まがたまぱじゃま。の「こころ」に共感・共鳴している「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」が実現することを願っている「怨念や念」達なのです。
20,このように、「怨念や念」に対する「深い理解」をすることにより、「ただしいおやくめをもった怨念や念」が「いきる」のです。
21,「怨念や念」を、軽率な浅はかな観点で排除するのではなく、「深い理解」により、「怨念や念」が「いきる」のです。
(再記します。)
怨念や念」を、軽率な浅はかな観点で排除するのではなく、「深い理解」により、「怨念や念」が「いきる」のです!!!
22,以上の「しんいかなう観点」を、「今の崩壊している(崩壊が進んでいる)社会に生きてきた人間達」が、どれだけ「理解」する能力・脳力をもっているか、全く不明ですが、心ある「理解する能力・脳力」をもっている「ひと」達は、以上の、「まがたまぱじゃま。のこころ」を「理解」してくださると、信じています。。。
23,従って、本観点は、「まがたまぱじゃま。に『しぜん』と融合している怨念や念」に対して、軽率で浅はかな「悪しき誤解」はせず、「深い理解」をする能力・脳力があるか否かの、「見極め」ともなっています。
24,それは、「怨念や念が付いているものは、悪しき存在だから、除霊したり、怨念や念を排除しなければならない」というような観点でまがたまぱじゃま。を見る(悪しき判断をする)「心ない人間」は、そのような「浅はかな心の持ち主」であり、「しんあい/真愛/神愛」の心は持っていないことの「見極め」となるのです。
25,これからの社会(「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」の社会)では、「理解能力・脳力」がとても大切になります。
26,軽率な「悪しき判断」をするのではなく、どれだけ「他人様(ひとさま)」を理解することができるか、受け入れることができるか、受け入れられなくとも、理解できなくとも、「排除せずにいられるか」。。。という、観点がとても重要になります。
27,「このよにむだない。」。。。この世に生まれてきた「いのち」には、「排除される存在」は無いのです。
28,この世に生まれてきた「いのちの仲間」たちは、何一つとして「無駄」はなく「排除される必要」も無いのです。
29,排除されるのではなく「理解」されるべき存在なのです。
30,「理解する」「理解される」ことにより、「理解する側」も「理解される側」も「いきる」ことができるのです。
31,「今崩壊している(崩壊が進んでいる)社会で」、「非難しあったり」「排除しあったり」する行為は、「精神や存在を殺し合っている(消しあっている)」ようなものです。
32,「今崩壊している(崩壊が進んでいる)社会」は「殺し合いの社会」だったのです。
(そのような「殺し合いの社会」の「ありさま」が、昨今の「この国のありさま」です。。つまり「殺し合いの社会」の結末は、「自らの存在すら殺してしまう」つまり「(永続することなく)自滅・崩壊させてしまう」社会ということです。)
33,これからは、「殺し合いの社会」ではなく「まさに共生の社会」「ともにいかしあう社会」「ともにいきる社会」に「しんか」するのです!!!
34,それが「しんいかなう、みなでひとつ。みなでしあわせ。の、しんのしあわせ」の永続する社会なのです。

「ご理解能力・脳力」に感謝しています。

ありがとうございます。





「わたし」への如何なる思念、想念等も「すべて」に感謝いたします。
ありがとうございます。




すべてに、ありがとう。全感謝。

{【2013年2月2日の変更】『2013年2月2日(土)14:00過ぎ「隅田川河畔ランニングコーナー」での出来事;「殺したい心にも『愛』を感じた/観じた「このよ」への『愛』。。。全感謝。」』に記したように、「どれい」という表現は「あしきごかい」を浄化させるため、「度零」に変更いたしました。
ありがとうございます。}



{注;以下、「スポンサー」が表示される場合がございます。このブログはスポンサーの協力により高速表示等が可能となっております。「スポンサーおよびその内容」等に関しては、ブログ「すべてに、ありがとう。全感謝。」の管理者まがたまぱじゃま。は一切関与しておらず、ブログ運営会社FC2 Inc.によるものです。}
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comment

管理者にだけメッセージを送る

いつもありがとうございます

いつもブログを何度も繰り返し拝読しております。

いつもありがとうございます。

わたしも貴方のように、与える与える、すべて与える気持ちで生きたいです。

二月、三月に日本に何も起こらないことを願います。この国には大切な人がたくさんいますから。

Re: いつもありがとうございます

yoko様、
コメントありがとうございます。
形骸化した固定概念」で、昨夜の一連の出来事等「「わたし」の存在を判断してしまうと、大多数とは異なり「驚愕で異常な在り方」のような差別・偏見・見下し・貶め等の思念を仕向けられてしまう可能性もございますが、「わたし」はそれらのことすら「すべて」に感謝させていただきます。
そして、yoko様もご示唆下さったように「与える与える、すべて与える気持ち」をも大切にして、一日一日を精一杯、いきてまいります。
「みなのこころせんたくしだい」が「しぜん」と「めぐりかえりあらわれる」2012年。
一人の「あしきこころせんたく」も、結果的には「みなのこころせんたく」の要素として、この地球に生きている人間や「ひと」「わたし」達に、あの「3.11」や「世界金融危機」等のようなさまざまな事象や事情として「めぐりかえりあらわれる」「しぜん」です。
あの「3.11」のような大災害が「めぐりかえりあらわれる」ことも「しぜん」ではありますが、しかし「みなのこころせんたくしだい」では、それを防いだり「大難を小難に」することも可能です。
一人一人の「こころせんたく」が、結果的に「みなのこころせんたく」と成ります。
「みなのこころせんたく」しだいの「めぐりかえりあらわれ」が、あの「3.11」のような大災害と成らないように、一人一人が「かくご/覚悟/覚互」をする必要があります。
大切な人々と共に、これからもずっとずっと、この日本で、この地球で(天命を全うするまで)「いきつづけられる」ように。。。
昨夜は、あの「3.11」のような大災害等が再び「めぐりかえりあらわれない」ように、「わたし」ができる精一杯の「心の叫び」が生じました。
「このよこころすべて」繋がっています。
この日本で、そしてこの地球で、共に生きられて、とても幸せです。
ありがとうございます。
まがたまぱじゃま。

ありがとう

お返事ありがとうございます。

これからも、みなの心がひとつになるように祈っていきましょう。

素晴らしいブログ、ありがとうございます。日本はあなたのような方が影になり、支えられていると思います。

Re: ありがとう

yoko様、
こちらこそ、ありがとうございます。
とてもとても嬉しいです。
「みなでひとつみなでしあわせ。」みなの心がひとつに成りますよう。。
これからも、yoko様や皆様と共にこの母国日本で、そして地球で、精一杯「いきて」まいります。
ありがとうございます。
まがたまぱじゃま。
プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

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