「しんねん」
明けましておめでとうございます。
2011年元旦。
とても美しい「初日の出」を全感謝の心で拝ませていただきました。
「こよのこころ」の「あらわれ」。。。
(下の最初の画像は「初日の出前」です。下のサムネイルでは画像が不鮮明で見えませんがその画像をクリックして表示される拡大画像では、右上に(とても小さいですが)「三日月と明けの明星」が映っております。
下のサムネイル画像をクリックして「拡大画像」にてご確認頂けたら幸いです。ありがとうございます。)
今朝もいつものように「神社でのめでぃてーしょん」をさせていただきました。
しかし「2010年クリスマス」の「
おつたえ(「2010年12月25日(土)の「おつたえ」; (むすひふす。) 」)」の通り、「わたし」の「しんえん(深遠/深淵/神苑/神縁)意識」に届き感じた/観じたことを「おつたえ」等として直接的に表現せず「ふす」こととなりました。
ご理解下さいましたら幸いに存じます。ありがとうございます。
以下、今年本格化する「このよおおせんたくおおつなみ」の「要点」として記させて頂きます。
【0;「このよおおせんたく」(2008年~2010年)の「まなび」まとめ。】 1,「このよおおせんたく」(2008年~2010年)は、「しんいしんずい」を「きづく」ための「まなび」の時だった。
2,「しんいしんずい」は「かんいかんけつ」(簡易簡潔;「ひと」であれば「こども」にもわかる「このよこころ」の「ふへん(普遍・不変)」。)
1)「
しんいはみなでしあわせ 。」
2)「
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと 。」
3)「
さいぜんこのよこころすべてにわひびきあいかなであい 。」
4)「
ぜんかんしゃこのよこころすべていきるいかすしんいしんずい 。」
5)「
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする 。」
(その他「しんいしんずい」はこの頁の下方に記されている「太字部分」等をご参照いただけたら幸いです。ありがとうございます。) 3,多くの「こんなんしれん」と思われる事象・事情等を通じて「わたし」達は「このよこころ」「しんのじぶん」等多くを「まなぶ」ことができた。
【1;2011年「このよおおせんたくおおつなみ」】 1,2011年(「春頃」から)本格的に「このよおおせんたくおおつなみ」がこのよこころ、社会意識、世界中に「あらわれる」。
2,「このよおおせんたくおおつなみ」は「このよおおせんたく」と同じように決して「悪」ではない。「しぜん」なこと。
3,「このよおおせんたくおおつなみ」には「こんなんしれん」と思われることが「めぐりかえりあらわれ」ようとも「ふあんふまん」はいらない。(「このよこころすべてまなび。」「こんなんしれん」と思われることも「すべてまなび」。「ふあんふまん」が心に生じてしまうのは「かんしゃつとめたりぬしるし」。)
4,「このよおおせんたくおおつなみ」では、如何なる「こんなんしれん」と思われる事象・事情があらわれようとも「まず感謝」して「たのしむ」心がさらに重要になる。
(【留意】「たのしむこんなんしれんとらわれずようきこころいまさいぜんつとめること。」)
1)「このよおおせんたくおおつなみ」が「めぐりかえりあらわれる」前には「しるし」「まえぶれ」等の前兆が複数回「あらわれる」。
2)それらの「しるし」や「まえぶれ」を「きづく」か否か「こころせんたくしだい」で、その後「あらわれる」「このよおおせんたくおおつなみ」の「あらわれ」の結果は大きく異なる。
3)前兆の「しるし」や「まえぶれ」にまず感謝して「きづく」ことができれば、無事浮かび「ひかり」が見え「しんい」を「きづき」、そこでさらなる「かいしん」が必要であれば「かいしん」することにより無難に「このよおおせんたくおおつなみ」が「すむ」。
4)前兆の「しるし」や「まえぶれ」にまず感謝して「きづく」ことができれば、無事浮かび「ひかり」が見え「しんい」を「きづき」、そこでさらなる「かいしん」が必要であるにもかかわらず、「かいしん」成さない「こころせんたく」をすることにより「このよおおせんたくおおつなみ」は「かいしんせぬこころせんたくしだい」倍増し、「みなそれぞれじぶんじんせい」に「あらわれる」。
5)前兆の「しるし」や「まえぶれ」にまず感謝して「きづく」ことができれば、無事浮かび「ひかり」が見え「しんい」を「きづき」、そこでさらなる「かいしん」は特に必要でなければ、さらなる「しんか」の「みちびき」となり、全感謝の心で「しんいつとめる」ことによりさらに一層「しんか」する。
6)前兆の「しるし」や「まえぶれ」を「きづかない」ような「こころせんたく」も「じゆう」で「しぜん」。その場合には「しぜん」と「このよおおせんたくおおつなみ」が「みなそれぞれじぶんじんせい」に「あらわれ」、「しんいきづかぬこころせんたくしだい」の結果となる「しぜん」。
7)「このよおおせんたくおおつなみ」では「ふあんふまん」はいらず、如何なる事象・事情が「あらわれ」ようとも、まず感謝して「しんい」を「きづき」、「たのしむこころせんたく」により、さらなる「しんか」が「あらわれる」。
(【留意】「たのしむこんなんしれんとらわれずようきこころいまさいぜんつとめること。」)
5,「このよおおせんたくおおつなみ」の「しんい」(目的等)は;
1)「わたし」達;「ひと」、「このよこころ」「社会意識」「世界中」「地球中」をさらに「しんか」させるため。
2)「わたし」達;「ひと」が「みなそれぞれじぶんじんせい」を通じて「このよこころすべてしんのじぶん」「しんいしんずい」をさらに「きづく」ため。
3)「このよおおせんたく」(2008年~2010年)を通じて「きづく」ことができ「まなぶ」ことができた「しんいしんずい」を「つとめ」等によりさらに「いかす」ため。
6,如何なる事象事情が「めぐりかえりあらわれ」ようとも「まず感謝」する。「全感謝。」必須。
7,「このよおおせんたくおおつなみ」は決して「困難試練の時」だけではなく「好機・チャンスの時」でもある。
1)「全感謝。」の心で感謝喜びの心をこめ「つとめる」ことにより「こころせんたくしだい」「しんいかなうのぞみねがいかなう」。
2)「このよおおせんたく」(2008年~2010年)を通じて「きづく」ことができ「まなぶ」ことができた「しんいしんずい」を「つとめ」等により「こころせんたくしだい」「いかす」ことにより「しんいかなうのぞみねがい」が「あらわれ」顕在化し、実現する。
8,「このよおおせんたくおおつなみ」を通じて「こころせんたくしだい」、「しんいしんずいしんのじぶん」がさらに「あらわれる」。
9,「このよこころかがみ」であり、他人様(ひとさま)は「しんのじぶん」を見せられていることであり、他人様に対する「しんのおもいやりあい」を通じて「しんのじぶん」をさらに「きづく」そしてさらに他人様と「このよこころ」「つながる」。
10,「このよおおせんたくおおつなみ」を通じて「こころせんたくしだい」、「みなそれぞれじぶんじんせい」をさらに「しんのじぶん」として「しんのしあわせ」「さいぜん」に「こころせんたくしだい」生きられるようになり、さらに「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の「このよこころ」が「あらわれ」顕在化し、実現し、「みなそれぞれじぶんじんせいしんのじぶんさいぜん」として皆が「しんのしあわせ」に「このよこころいろいろ」が「ひかり」「かがやく」世と成る。
【2;2011年「このよおおせんたくおおつなみ」で注意しなければならない観点】 1,「偏狭意識」「差別偏見意識」等に注意しなければならない。
2,「偏狭意識」「差別偏見意識」等とは「我利我欲/強欲」や「盲信してしまっている固定形骸化してしまった思想や観念」。
1)「我利我欲/強欲」とは「みなでしあわせ」の心を欠いた「自己我欲野獣意識」。
2)「盲信」とは「いまさいぜん」の意識が欠如していることに起因し、「過去」に固執執着し囚われた情報を判断基準としていることを自覚できず、「いま」の事象や「自分の信条」と異なった「信条、思想、状況」等に「けいい」(敬意・経緯)の念や「しんのおもいやりあい」の心でその「しぜん」の存在を看守容認許容する能力・脳力が足りないために、「いま」の事象や「自分の信条」と異なった「信条、思想、状況」等に対して「精神的な抵抗や批判非難等の苛立ち心理傾向」が生じてしまう心理状態。(本人も気づかない無意識の我利我欲に帰結する「排除意識」が原因)
3,「偏狭意識」「差別偏見意識」等のリスクにより、結果的に自らを自らの心で「しばる」こととなり、「しんのじゆう」ではなくなってしまう。(「偏狭意識」「差別偏見意識」等により「しばられた」「しんのじゆう」ではない状態の結末は「偏狭意識」「差別偏見意識」等の「にこごり」「こげつき」「こびりつき」となる。)
1)「偏狭意識」「差別偏見意識」等により「盲信」等の「しばられた」状態はいずれ「やまい」として肉体に「あらわれ」たり「悪しき事情」として「じぶんじんせい」に「あらわれる」。
(【留意】「やまい」は悪ではなく「ふかいまなび」。)
4,「我利我欲/強欲の自己我欲野獣意識」や「偏狭意識、差別偏見意識」等により「にこごり」「こげつき」「こびりつき」にならずに、無事に「このよおおせんたくおおつなみ」が「すみ」、このよこころが「すんだ」状態で「みなそれぞれじぶんじんせい」が「さいぜん」に「いきいかす」ことができる「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の世が「あらわれ」顕在化し実現すれば、「みなそれぞれじぶんじんせいしんのじぶんさいぜん」として皆が「しんのしあわせ」に「このよこころいろいろ」が「ひかり」「かがやく」世と成る。
【3;2011年「このよおおせんたくおおつなみ」の後、「偏狭意識」「差別偏見意識」等の「にこごり」「こげつき」「こびりつき」の世となってしまわないために留意すること。】 1,如何なる他人様(ひとさま)に対しても「しんのおもいやりあい」「思い遣り」「愛」「慈愛」「博愛」「けいい(敬意/経緯)」等の心で「みまもる」。
1)「ひとみないちれつみなたいら」であり、善人/悪人差別なく、健常者/障がい者差別なく、身分肩書き差別なく、「ひと」は皆一列公平であり皆平等であり、「すべてのひと」に対して「しんのおもいやりあい」「思い遣り」「愛」「慈愛」「博愛」「けいい(敬意/経緯)」等の心で「みまもる」。
2)「悪人」「罪人」等は、ある意味「これまでの過去の社会の犠牲者」。(「しんのおもいやりあい」や「愛」等を十分受け取ることができない「心(環境や状況や精神状態等)」に追いやられてしまったり放置されたある種の「犠牲者」。これからはその「犠牲者」を「しんのおもいやりあい」や「愛」の力で救い、これ以上「慈愛欠如が放置された事による犠牲者」をこの世に排出しない努力が必要となる。これからは「悪人」や「罪人」は責められ排除されるのではなく「社会の犠牲者」として「救われるべき人々」という観点がさらに明確な社会になる。)
2,「このよこころかがみ。」
1)他人様(ひとさま)は「しんのじぶん」を見せてくださる「かみ(彼見)」であり「がみ(我見)」である「かがみ」。
(同時に「かみ(神見)」であり「がみ(我見)」であり。。) 2)他人様に「見えたこと」「感じた/観じたこと」は実は「しんのじぶん」の「あらわれ」。
3,「このよこころちがいすべてまなび」。
1)他人様から「見えたこと」「感じた/観じたこと」は「しんのじぶんのあらわれ」として「きづく」ことができ、たとえそれが「自分の信条や期待していたこと」と異なっていたとしても、「過去」の経験や情報に無意識に囚われた「盲信」的な判断基準により「あの人はXXだ。」と「決めつける」のではなく、他人様に「見えたこと」「感じた/観じたこと」に対しては「きっと◎◎なのだろうなぁ。」というように「断定ではない、他の理解の可能性を含んだ」認識に留める。
2)他人様から「見えたこと」「感じた/観じたこと」が万が一どうしても「自分では理解できない」事がある場合にも「あの人は○○のようだ。」と「決めつける」のではなく、(可能であれば)当事者に「なぜ○○のようなのですか?(もしよろしければ教えてください。)」と質問・確認することにより「相互理解」が促され、「つながり」が生まれると同時にさらに「しんのじぶん」が深く広く「しんか」するきっかけとなる。(判らなければ勝手に決めつけるのではなく、「たずねて」(質問・確認して)みることがさらに重要となる。)
3)他人様に「ちがい」が見え、「ちがい」を感じ/観じたら、それは「まなび」のきっかけとなり、「しんのじぶん」をさらに「しんか」させる「きづき」とする。
4,他人様の「じぶんじんせい」に「さわる(悪しき影響を与える)」ことは慎む。
1)如何なる状況にあろうとも他人様の「じぶんじんせい」を最大限尊重する。
2)如何なる状況にあろうとも他人様の「じぶんじんせい」に対して「上下優劣判断、善悪評価、批判非難、ましてや見下し罵り貶め」等はすべきではない。
5,他人様の「じぶんじんせい」に「さわる(悪しき影響を与える)」ことにより、「さわった(悪しき影響を与えた)」者は「それ相応のめぐりかえり」が「あらわれる」。
1)アドバイスや忠告を装った「さわり(悪しき影響を与える「マインド・コントロール」や「こころしばり」等)」は表面的に一時期は「よかれ」と見えるが、結果的に双方に「さわりこころせんたくしだい」の「めぐりかえり」が「それぞれじぶんじんせい」に「あらわれる」「しぜん」。
2)「上下優劣判断、善悪評価、批判非難、ましてや見下し罵り貶め」等は瞬時に「こころせんたくしだい」の「悪しき事情(病や失敗、事故等)」が「めぐりかえりあわれる」「しぜん」。
3)「上下優劣判断、善悪評価、批判非難、ましてや見下し罵り貶め」等の「こころせんたくしだい」の「悪しき事情(病や失敗、事故等)」が瞬時に「めぐりかえりあわれ」ない場合には「蓄積」されて、「しかるべきとき」に場合によっては「倍増」されいずれ「めぐりかえりあらわれる」「しぜん」。
(【ご留意】上記「4」「5」の内容は「法的な犯罪」や「物理肉体的な事故・災難」等の場合には適切に対処する必要があります。「法的な事項」は法的に対処される必要があり、また「物理的肉体的な事故・災難」は的確に救助・支援される必要があります。「悪しき誤解」なきよう、ご理解頂けましたら幸いに存じます。ありがとうございます。) 2011年は「たのしむ」。。。
いよいよ本格化する「このよおおせんたくおおつなみ」にも全てに感謝して、「たのしむ」心で、日々、いきいかしていただきます。
「このよおおせんたくおおつなみ」が「すみ」、「このよおおせんたく」が「すみ」、「このよこころ」が「すみ」。。。
「みなそれぞれじぶんじんせいしんのじぶんさいぜん」として皆が「しんのしあわせ」に「このよこころいろいろ」が「ひかり」「かがやく」世と成り。。。。
「みなでひとつ。みなでしあわせ。」の世が「あらわれ」顕在化し実現いたします。
ありがとうございます。
「
みなのこころのなかじゃ。 すべてこのよこころのなか。 なにがあってもかんしゃするがよい。 かんしゃしてしんかするしんい。 かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。 しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころのせんたく。 しんいはみなでしあわせ。 しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。 このよすべてしぜん。 このよすべてじゆう。 しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。 しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。 このよすべてじゆうしぜん。 このよすべてじゆうしぜん。 しぜん。 しぜん。 しぜん。 じゆう。 じゆう。 じゆう。 しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。 みなそれぞれじぶんのじんせい。 ひとたにんのじんせいいきられん。 みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。 みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。 みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。 あたえしこころみなじぶんじんせいめぐるかえるあらわれるしぜん。 あたえしこころみなじぶんじんせいめぐるかえるあらわれるしぜん。 あたえしこころみなじぶんじんせいめぐるかえるあらわれるしぜん。 かんしゃよろこびあいあたえればあたえるほどふえる。 よろこびかんしゃあいあたえればあたえるほどふえる。 みなでしあわせ。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 すべてわさいぜん。 わ。 わ。 わ。 さいぜんすべてにわひびきあいかなであい。 このよこころわひびきあいかなであい。 さいぜんこのよこころすべてひびきあいかなであい。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。 ようきこころものごとしんいかなうただしきよきにうけとめるこころ。 このよすべてじぶん。 がよくでないしんのじぶん。 みなでひとつ。 みなでしあわせ。 みなちがういのち。 みなでおなじいのち。 みなでひとつみなでしあわせ。 ひとみないちれつみなたいら。 しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせ。 このよこころすべてじぶん。 がよくでないしんのじぶん。 みなでおなじいのち。 みなでひとつみなでしあわせ。 このよこころじんせいむだない。 このよこころすべてまなび。 このよこころすべてまなび。 このよこころすべてじぶん。 このよこころすべてしぜん。 みなのこころあらわれる。 このよこころかがみ。 たのしむがよい。 たのしむがよい。 たのしむがよい。 たのしむこんなんしれんとらわれずようきこころいまさいぜんつとめること。 このよおおせんたく。 このよこころさらにしんのじぶんあらわれる。 このよこころさらにしんのじぶんあらわれる。 このよこころさらにしんのじぶんあらわれる。 しんのじぶんきづくがよい。 しんのじぶんきづくがよい。 しんのじぶんきづくがよい。 みなでひとつみなでしあわせ。 このよこころすべてつながっておる。 このよこころしんのおもいやりあいですべてつながっておる。 しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。 しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。 しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。 このよこころいろいろ。 いろいろかがやきこのよなす。 こころいろいろひかりみる。 しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。 しんのつよさすべてをうけいれすべてをあいしすべてをいかすこのよこころしぜんうちゅうのつよさ。 すべてにかんしゃしまなびなせ。 ぜんあくいだきあいとなる。 ぜんあくいだきあいとなる。 ぜんあくいだきあいとなる。 あくしぜん。 ぜんにかえるまなび。 あくしぜん。 ぜんにいたるまなび。 ぜんあくいだきあいとなる。 ぜんあくいだきあいとなる。 ぜんあくいだきあいとなる。 こんなんしれんこのよこころみがくまなび。 こんなんしれんこのよこころみがくまなび。 こんなんしれんこのよこころみがくまなび。 しんいつとめるしんのひとなる。 しんのひとなるこころかがやきこんなんしれんこころみがく。 しんのひとなるこころかがやきこんなんしれんこころみがく。 なにがあってもかんしゃするがよい。 かんしゃすればこころせんたく。 かんしゃすればこころせんたくこころすむ。 かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。 かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。 かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。 ぜんかんしゃ。 しんいみきわめまなびなす。 しんかのみちびき。 しあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。 かんしゃこころこのよいきることじゃいかすことじゃ。 かんしゃはいきること。。。。 かんしゃいかすこと。 ぜんかんしゃこのよこころすべていきることいかすこと。 ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。 ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。 ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。 ぜんかんしゃ。 ぜんかんしゃ。 ぜんかんしゃ。 しんか。 しんか。 しんか。 ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。 ぜんかんしゃこのよこころすべていきるいかすしんいしんずい。 しんいはみなでしあわせじゃ。 しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることじゃいかすことじゃ。 しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころせんたく。 かんしゃすればしんいみえる。 しんいみえればまなびなす。 まなびなせばみちびきつかむ。 みちびきこれあらたなるしんかへのみちじゃ。 かんしゃするがよい。 かんしゃするがよい。 かんしゃするがよい。 かんしゃしてしんかするしんいじゃ。 かんしゃしてしんかするしんいじゃ。 かんしゃしてしんかするしんいじゃ。 かんしゃはいきることじゃいかすことじゃ。 ぜんあくいだきあいとなる。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。 しんいはみなでしあわせじゃ。 」
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