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2010年8月14日(土)の「おつたえ」;このよこころすべてしんのじぶんさらにきづくみなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだいしんのしあわせすべてわさいぜんしぜん。

いつもありがとうございます。毎週末の神社でのめでぃてーしょんを通じて「おつたえ」いただいた「しんい・めっせーじ」等を誠実に記させて頂いております。
【参照】「「おつたえ」はじめに。」のページへ
【参照】「わたし」のスピリチュアリティー(霊性)の「しんか」のページへ
【<毎週末のめでぃてーしょん>】
                                    <◆◆「おつたえ」まとめ
                                    <★★「しんい・めっせーじ」まとめ



このよこころすべてしんのじぶんさらにきづく。

みなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだい。

しんのしあわせすべてわさいぜんしぜん。





みなでしあわせ。






2008年8月16日に呼ばれるがごとく「お伊勢様参り」をさせていただき、「おつたえ、しんい、さらにつたえましょう。」と、「おやくめ」をいただき、2008年8月23-24日から毎日このブログにておつたえ記させていただいております

。。。。

2006年頃から、毎週末近所の神社に参拝させていただいておりました

2006-2007年頃から、一番心が落ち着く「羽団扇楓の木の下(現在の「定位置」)」で「めでぃてーしょん」をさせていただいていたところ、2008年頃から「おつたえ」をいただくようになり、毎週、日記に記しておりました。

2008年8月16日、「よがかわる!」という大きな「こえ」が発せられ、伊勢神宮に突然参拝

それまで日記に記しておいた「おつたえ」も併せて、2008年8月23-24日に、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』にておつたえ記させていただく「おやくめ」を開始させていただきました。


。。。。

2008年8月から、このわずか「2年間」で、私たち、このよこころ、社会意識には(多くの「困難試練」等をいただきながらも)驚異的な「しんか(進化・深化・心化・信化・清化・新化・芯化・真化・神化・しんか)」が顕在化し、「こころせんたくしだい」の現実が、「みなそれぞれじぶんじんせい」の日々の生活に「しぜん」とあらわれています。

いかなることがあろうとも、まず、感謝。。。

ありがとうございます。


。。。。。



今朝も「おつたえ;みこと」をいただくことができました。


まず「このよこころすべてしんのじぶんさらにきづく。」とおつたえ下さいました。

2008年以前、私たち、このよこころ、社会意識は「しんか」が乏しく、自分の考えや認識等に沿わない他人様(ひとさま)等に対して「このよこころすべてしんのじぶん」をきづかず、鈍感で無頓着に、諭しの無い批判・非難、見下しや貶め、罵り等、ネガティブで悪意的な思念を向けました。

当時、自分の意に沿わない人を馬鹿にしてみたり、自分の理解能力・脳力を越えた意見等に対して狂気扱いしてみたり、形骸化し機能しないどころか意識の成長を阻む認識能力・脳力の牢獄である「常識」という社会意識の呪縛に囚われ、「常識」とはそのようなものであることにすら自らきづくことができず、「しんい・しんずい」を尺度とするのではなく、その形骸化した「常識」という幻想尺度に照らし合わせて他人様(ひとさま)を判断してしまったり。。。

「常識」という固定概念は、安定/停滞し変化の少ない社会や時代にはそれなりに機能しますが、「このよおおせんたく」の昨今のような「激変、爆変」の時代には全く機能しないどころか、形骸化した「常識」という固定概念により意識の成長が阻害され支障をきたしてしまうこともとても「しぜん」なことです。

【重要】
2009年6月13日(土)の「おつたえ」;このよおおせんたくしあわせせんたくのかくしん
【参照】
2008年9月5日(金)11:00頃とどきました。;みちびき
2008年9月16日(火)9:00すぎにとどきました。;おおせんたくはじまる
2008年9月16日(火)20:30の「おうかがい」;おおせんたくとは


2008年以降、多くの「困難試練」等が私たち、このよこころ、社会意識に巡り還りあらわれた御陰で、ようやく最近、私たちはその「常識」という固定概念のリスクに気づいたようです。

昨今の「このよおおせんたく」のような「激変、爆変」の時代では、「今までにない新しい意識(考え方等)」が「しぜん」とこのよこころに生まれます。


同時に、そのような「今までにない新しい意識(考え方等)」が芽生え、人々に拡がってゆくことにより、私たちの社会、このよこころ、社会意識が「しんか」するのです。

そのような観点からも、このブログでおつたえ記させていただく「おつたえ」や「しんい」は、未だ多くの人々がきづいていない新しい観点の意識が多出いたします。

それらの「おつたえ」や「しんい」を以前のように、社会呪縛である「常識」等に照らし合わせて判断してしまうと、意識の成長「しんか」を害してしまいます。

「あたらしいものごと」は、常にマイノリティー(少数)です。

たとえ今、大多数の人々がきづいていない「観点や考え方」であっても、(このわずか2年間を振り返っただけでも明白であるように)いずれますます多くの人々がその「おつたえ」や「しんい」をきづくことになることも、とても「しぜん」なことです。


。。。。


以上のような観点からも、昨今の「このよおおせんたく」の「激変、爆変」の時代には、たとえ自分が今までに知り得た知識や考え方には無い、「あらた」な観点や考え方であろうとも、諭し無く批判・非難したり、見下しや貶めしたり、罵ったりするのではなく、「なるほど、そのような観点・考え方もあるのだなぁ。」と、「理解しようとする能力・脳力(理解能力・脳力)」を高めることも可能です。
(注;そもそも「知識」とは全て「過去」のことです。過去に囚われず「いま」を「さいぜん」にいきるいかすには、知識も大切ですが、「過去」である「知識に囚われないこころ」もとても大切です。)


。。。。。


このよこころすべてしんのじぶんさらにきづく。」


「このよこころすべてしんのじぶん」。。。

他人様(ひとさま)も、「しんのじぶん」です。

他人様(ひとさま)に対して、見下しや貶め、罵りをすることは、それは結果的に「自分に対して見下しや貶め、罵り」をしていることなのです。

他人様(ひとさま)を助ける、他人様(ひとさま)に親切にする、他人様(ひとさま)に喜んでいただく。。等など。。。

これらは、実はいずれ結果的に「自分を助けること。自分を親切にすること。自分を喜ぶこと。。等など」。。につながるのです。

このような観点からも、「このよこころすべてしんのじぶん」なのです。
(注;「がよくでない。しんのじぶん。」)


今朝、「おつたえ;みこと」として「このよこころすべてしんのじぶんさらにきづく。」とおつたえ下さったように、これからますます、私たち、このよこころ、社会意識は、「このよこころすべてしんのじぶん」をきづく時と成ったのだと強く悟らさせていただきました。



このよこころすべてしんのじぶん」。






みなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだい。」とおつたえ下さいました。

2008年以前は、私たち、このよこころ、社会意識は、「じぶんじんせい」という観点もしっかりとはきづいていないような状態でした。

自分はなぜ生きているのか。。

この人生はいったい誰のものか。。。

「自分」って誰(どのような存在)?。。。人生って何?。。。

このように、2008年以前は、私たち、このよこころ、社会意識は、あまり「じぶん」や「じんせい」という観点には意識が向いておらず、「金儲け」「物品の買いあさり」「我欲/強欲の幸せ」「エゴ・プライドの見せびらかし」。。。等々、「しんのじぶん」をきづこうともせず、「自分以外の存在」に「しんのじぶん」が踊らされ、操られ、無意識操作され。。。人々は「我欲/強欲社会システムの度零」のような状態でした。。

しかし「このよおおせんたく」が始まった2008年秋以降は、多くの「困難試練」等の御陰でようやく私たち、このよこころ、社会意識は「しんのじぶん」「じぶんじんせい」という存在をきづくことができるようになりました。

「我欲/強欲社会システムの度零」ではない。。「しんのじぶん」が「じぶんじんせい」をいきる、いかす。

そのことが、もうすぐさらにあらわれ、顕在化する「あらたなる社会」をうみだし、いきる、いかすようになる。。。


「他人様(ひとさま)を見下し、貶め、罵る」ような「こころせんたく」をすることも「じゆう」です。

そのような「こころせんたく」をすれば、結果的にいずれ「自分を見下し、貶め、罵る」ことと成ることも「しぜん」です。

「他人様(ひとさま)を敬い、褒め、称える」ような「こころせんたく」をすることも「じゆう」です。

そのような「こころせんたく」をすれば、結果的にいずれ「自分を敬い、褒め、称える」ことと成ることも「しぜん」です。

「こころせんたく」はとても「じゆう」で、とても「しぜん」です。


そして「みなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだい。」です。


どのような「こころせんたく」をしようとも、他人様(ひとさま)から咎められることもなく、ただただ、「自分自身」が自分の「人生」としていずれ結果的に全てを受けていきることとなる。

他人様(ひとさま)の「じぶんじんせい」に関しては、批評したり善悪判断したり差別すべきものではないのです。

いかなる人生をあゆもうとも、いかなる存在であろうとも、「すべてのひと」「すべてのいのち」「すべてのそんざい」が素晴らしく、大切で、愛おしいものなのです。
(注;「じぶんじんせい」における様々な「事象」や「事情」に関しては、その都度「まなび」が「しぜん」と生じます。)

これからますます「みなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだい。」が、日々日常の「現実」としてさらにあらわれ、顕在化する時となったのだと感じ/観じています。





しんのしあわせすべてわさいぜんしぜん。」とおつたえ下さいました。

2008年以前は「幸せ」とは一体何なのかとても不明確でした。

そしてその不明確さを後押しするがごとく「幸せの定義は人の数ほどある。」という意識が巣くってしまっておりました。

「幸せの定義は人の数ほどある。」という「こころせんたく」に対しても否定したり批判・非難したりしません。

そのような「こころせんたく」も素晴らしいと感じています。

「しんのしあわせ」とは「みなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと」であるとおつたえ下さっております。

【参照】
2010年8月13日(金)の「夜のめでぃてーしょん」を通じて。;しんのしあわせさらにめぐるかえるあらわれるかんしゃこころせんたくしんか
2009年8月22日(土)の「おつたえ」;しんのしあわせしんのかんしゃしんのじぶんしんか



「幸せ」の定義が人の数ほどあることもとても「しぜん」です。

そして「しんのしあわせ」は「みなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと」であることも、とても「しぜん」だと感じて/観じています。

これからますます「幸せ」だけではなく、多くの人々がさらに「しんのしあわせ」をきづき、「しんのしあわせすべてわさいぜんしぜん。」であることをきづき始める時と成ったのだと強く感じ/観じています。




このよこころすべてしんのじぶんさらにきづく。

みなそれぞれじぶんじんせいこころせんたくしだい。

しんのしあわせすべてわさいぜんしぜん。





2008年からのこのわずか「2年間」ですら、これほどまでに私たち、このよこころ、社会意識には「しんか」があらわれ顕在化いたしました。

その「しんか」に気づかぬふりをしても、気づかぬふりをする自分自身が空しくなるほど、日々の現実として「じぶんじんせい」にその「しんか」が巡り還りあらわれ、顕在化しています。

これからもさらに、世界中でこのよこころがあらわれている「このよおおせんたく」等により、急速に急激に、私たち、このよこころ、社会意識は、「みなでしあわせ」に、「しぜん」と「しんか」してゆきます。




みなのこころのなかじゃ。
すべてこのよこころのなか。

なにがあってもかんしゃするがよい。

かんしゃしてしんかするしんい。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころのせんたく。
しんいはみなでしあわせ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

かんしゃすればするほどただしきこころせんたくできる。

このよすべてしぜん。

このよすべてじゆう。

しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。
しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。

このよすべてじゆうしぜん。
このよすべてじゆうしぜん。

しぜん。
しぜん。
しぜん。

じゆう。
じゆう。
じゆう。

しんのじゆうしんいかなうこのよこころ。

みなそれぞれじぶんのじんせい。
ひとたにんのじんせいいきられん。

みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。
みなそれぞれじぶんのじんせいこころせんたくしだいのじんせいめぐるかえるあらわれる。

みなでしあわせ。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

すべてわさいぜん。

このよこころわひびきあいかなであい。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいすべてこのよこころわひびきあいかなであいいきることいかすこと。

ようきごころものごとしんいかなうただしきよきにうけとめるこころ。

このよすべてじぶん。
がよくでないしんのじぶん。
みなでひとつ。
みなでしあわせ。

みなちがういのち。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

ひとみないちれつみなたいら。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせ。

このよこころすべてじぶん。
がよくでないしんのじぶん。
みなでおなじいのち。
みなでひとつみなでしあわせ。

このよこころじんせいむだはない。
このよこころすべてまなび。

このよこころすべてまなび。
このよこころすべてじぶん。
このよこころすべてしぜん。


みなでひとつみなでしあわせ。
このよこころすべてつながっておる。

このよこころしんのおもいやりあいですべてつながっておる。

しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。
しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。
しんのおもいやりあいこのよこころすべてつなぎつなぐつながる。


このよこころいろいろ。
いろいろかがやきこのよなす。
こころいろいろひかりみる。

しんいかなうのぞみねがいかなうゆたかなこころこのよみなでしあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

しんのつよさすべてをうけいれすべてをあいしすべてをいかすこのよこころしぜんうちゅうのつよさ。

すべてにかんしゃしまなびなせ。

ぜんあくいだきあいとなる。
ぜんあくいだきあいとなる。
ぜんあくいだきあいとなる。

あくしぜん。
ぜんにかえるまなび。

ぜんあくいだきあいとなる。
ぜんあくいだきあいとなる。
ぜんあくいだきあいとなる。

なにがあってもかんしゃするがよい。
かんしゃすればこころせんたく。
かんしゃすればこころせんたくこころすむ。

かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。
かんしゃこころせんたくこころあらわれこころすむ。

ぜんかんしゃ。
しんいみきわめまなびなす。
しんかのみちびき。
しあわせよろこびめぐるかえるあらわれる。

かんしゃこころこのよいきることじゃいかすことじゃ。


かんしゃはいきること。。。。

かんしゃいかすこと。


ぜんかんしゃこのよこころいきることいかすこと。

ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。
ぜんかんしゃしんいつとめしんかする。

しんいはみなでしあわせじゃ。
しあわせみなそれぞれじぶんのじんせいさいぜんにいきることじゃいかすことじゃ。
しんいかなうのぞみねがいかなうただしきこころせんたく。
かんしゃすればしんいみえる。
しんいみえればまなびなす。
まなびなせばみちびきつかむ。
みちびきこれあらたなるしんかへのみちじゃ。
かんしゃするがよい。
かんしゃするがよい。
かんしゃするがよい。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃしてしんかするしんいじゃ。
かんしゃはいきることじゃいかすことじゃ。

ぜんあくいだきあいとなる。

しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。
しんのしあわせみなそれぞれじぶんじんせいさいぜんにいきることいかすこと。

しんいはみなでしあわせじゃ。






すべてに、ありがとう。全感謝。

{【2013年2月2日の変更】『2013年2月2日(土)14:00過ぎ「隅田川河畔ランニングコーナー」での出来事;「殺したい心にも『愛』を感じた/観じた「このよ」への『愛』。。。全感謝。」』に記したように、「どれい」という表現は「あしきごかい」を浄化させるため、「度零」に変更いたしました。
ありがとうございます。}



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プロフィール

Author:magatamapajama
まがたまぱじゃま。全感謝。

愛知で誕生。日本(関東)在住。
すぴりちゅありすと。全感謝。

( >>= ATTENTION =>> To non-Japanese speaking people; "Automatic translation function" of Web browser, such as "Live S. Translator" will sometimes NOT show CORRECT meanings of this blog. When you translate this blog into different languages, please Do NOT be MISLED by the wrong translations. Thank you very much.)

毎週末に近所の神社でめでぃてーしょんをさせていただくさなか、「おつたえ」をいただきます。
幼少時代から「こころのこえ」のようなものを感じており、青少年時代に、あるきっかけで毎日「お墓参り」をさせていただいたなか、「ご先祖様(?)」からの「こえ」を聞くようになり、「こころのたいわ」を意識するようになりました。「物質ではない存在とのコミュニケーション」を学ぶことができました。

数年前から毎週末にお世話になっている、近くの神社でのめでぃてーしょんを通じて、「おつたえ(しんい・めっせーじ)」をいただき、最近はその「おつたえ」が「くげん」となっております。
(◆2010年クリスマスより「おつたえ」等は「そのひ」まで「ふす」こととなりました。ありがとうございます。)

<詳細は、下のカテゴリの中の「◎はじめに。」をご一読頂けましたら幸いです。>

{★このブログはリンクフリーです。リンクご自由にどうぞ。}
(一部「コメント」等、筆者以外の人物における行為により記された箇所を除き、このブログ『すべてに、ありがとう。全感謝。』の記述内容は筆者「まがたまぱじゃま。」個人に基づくものです。)

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